
戦後80年を迎えた日本にとって、「非核三原則」を守り抜く姿勢は、単なる理念やスローガンではなく、国の信頼と安全を築いてきた根幹そのものです。
公明党は、その理念を一貫して政治の中に反映させ、「持たず・作らず・持ち込ませず」という非核三原則を国是として確立させた歴史的立役者でもあります。
非核三原則(ひかく・さんげんそく)とは何か
非核三原則は、①核兵器を持たず、②作らず、③持ち込ませずという、日本の安全保障政策の基本方針です。単なる防衛戦略の一部ではなく、唯一の戦争被爆国としての道徳的責任を示すものであり、国際社会に対する平和への約束でもあります。
非核三原則という言葉が国会の議事録に初めて掲載されたのは1967年12月、公明党による衆院本会議での代表質問でした。そして非核三原則が国是として確立した背景には、沖縄返還(1972年5月)を巡る与野党の対決・大激論の末、事態収拾に動いた公明党の決断があったのです。
沖縄返還に当たっての最大の焦点は“核抜き、米軍基地の縮小・撤去”でした。しかし、日米両政府が合意した沖縄返還協定には不備欠陥が多く、同協定が審議された71年の国会は紛糾を極めました。自民党が衆院本会議で強行採決の構えを取る中、社会党や共産党は本会議をボイコット。当時野党だった公明党は、協定に反対の立場を貫きつつ、自民党との交渉で最大限の譲歩を引き出しました。それが、非核三原則の順守を盛り込んだ付帯決議です。当時の佐藤栄作首相は「これを厳粛に順守する」と明言しました。沖縄を含む日本全土に非核三原則の枠がはめられ、国是として確立しました。
公明党の具体的な行動
公明党はこの半世紀、非核三原則の旗を守るだけでなく、核廃絶に向けた国際的な流れを実際の政治行動へとつなげてきました。被爆の実相を世界に伝えるため、各国首脳の広島・長崎訪問を後押しし、2023年にはG7首脳全員による広島平和記念資料館訪問を実現させました。また、核兵器禁止条約については「非核三原則を国際規範に高めた意義ある条約」と評価し、日本政府に対して締約国会議への参加を繰り返し求め、党独自でも議員を派遣して核保有国と非保有国の橋渡し役を担っています。
参政党の「核武装は安上がり」論への批判
こうした歩みに逆行するかのように、最近一部の政治勢力、特に参政党から「核武装は安上がりだ」という短絡的な発言が出ています。
この主張は、広島・長崎の惨禍を知る日本人の記憶と感情を踏みにじるものであり、極めて危険です。核兵器は維持管理や安全確保に莫大な費用を要し、事故や誤作動のリスクが常に付きまといます。さらに、一度保有に踏み切れば周辺国との緊張を急激に高め、軍拡競争を誘発することは歴史が証明しています。
「コストが安い」という単純な計算で安全保障を語ることは、国際政治の現実を無視した危うい発想であり、日本が長年積み重ねてきた「平和国家」としての信頼を瞬時に失わせる可能性があります。
核なき未来を守るために
非核三原則は、日本の安全と尊厳を守るための安全保障の基礎であり、未来世代への責任を果たすための確固たる約束です。公明党が守り抜いてきたこの原則は、国際社会での信頼を支え、核保有国と非保有国の対話をつなぐ架け橋となってきました。いま私たちに必要なのは、力の論理に流されることではなく、被爆国としての歴史と道義を背景に、核廃絶をめざす歩みをさらに強めることです。
非核三原則を揺るがせにせず、国是としての重みを再確認し、「核なき未来」を現実のものとするための努力を続けることこそ、日本が世界に示すべき平和の証なのです。