
このお盆に読んでいる本は、慶應大学の井手英策教授の新著『令和ファシズム論』です。
ページをめくるたびに、現代日本が抱える「漠然とした不安」と、それに押し流されるようにして生まれる「極端への逃走」という現象が、まるで自分たちの生活のすぐそばに迫っていることを痛感します。井手先生は、こうした負のスパイラルを断ち切るためには、社会の連帯と財政規律を再構築することが不可欠だと説きます。
そして、その視点から参政党が打ち出す一連の政策を見直すと、その多くがむしろ不安と分断を深める方向に向かっていることが浮かび上がってきます。(なお、井手先生は直接、参政党を批判しているわけではありません。『令和ファシズム論』を私が読んだ上での感想です)
たとえば、SDGs政策の停止。井手先生は、日本では国民の約8割が将来に不安を抱え、その背景に分断社会があると指摘します。教育や医療、介護といった「共通のリスク」を、所得制限なく無償で提供する「ライフセキュリティ」の構築こそが不安の解消につながると訴えています。それにもかかわらず、SDGsをやめてしまうというのは、貧困削減や教育普及、ジェンダー平等といった課題への取り組みを放棄することに他なりません。これは社会をより分断し、不安を加速させる危険な道です。
また、パリ協定など脱炭素政策の廃止も見過ごせません。井手先生は財政運営の「質」を重視し、社会の安定に寄与する政策こそ必要だと説きます。気候変動は人類共通のリスクであり、将来世代の安全に直結します。その対策を手放すことは、長期的な安定や責任を軽んじる行為といえるでしょう。
さらに、WHOからの脱退やウクライナ支援の見直しといった方針も、井手先生の警告する「国際協調の軽視」や「排外主義」の流れに合致します。感染症や安全保障といった課題は一国では解決できません。協力の枠組みを断つことは、日本の国際的孤立を招き、むしろ安全を脅かすことになりかねません。
DEI(多様性・公平性・包摂性)政策の廃止に至っては、社会の多様性や個人の尊厳を否定し、孤立と対立を助長します。井手先生は、多様性を尊重し合える社会こそが分断を乗り越える鍵だと語っています。ここを逆行する政策は、社会の再生を遠ざけるものです。
そしてSNS規制の撤廃。井手先生は、ネット上のヘイトスピーチや虚偽情報が「極端への逃走」を助長していると警鐘を鳴らします。規制を外せば、対話の場はさらに壊れ、過激化のスピードは加速しかねません。
総じて、井手先生の議論は、いま日本が直面する不安と分断を乗り越え、連帯と規律を再構築するための道筋を示しています。対して参政党の政策は、その逆を行き、社会をより危うい方向へと押し流す可能性が高い。『令和ファシズム論』を読むほどに、その危機感が現実味を帯びて迫ってきます。
令和ファシズム論-極端へと逃走するこの国で
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