ナチス・ドイツの宣伝相ヨーゼフ・ゲッベルスは、かつてこう語ったとされています。
「大きな嘘でも、繰り返し語れば人はそれを信じるようになる」
この冷酷な言葉は、戦時下の情報操作を象徴するものですが、現代の政治やSNS社会においても、なお恐ろしいほどの現実味を帯びています。
最近の国会でも、まるでこの言葉を実証するかのような場面が見られました。
参政党の神谷宗幣代表が行った代表質問では、新型コロナのワクチンをめぐる陰謀論的な発言や、科学的根拠の乏しい主張が繰り返されました。「アメリカではmRNAワクチンへの投資を停止した」「年1回の接種もやめた」といった発言は、事実を誤って伝えるものです。実際のところ米国政府は開発体制を縮小したわけではなく、感染症全体への対応を広げるための体制転換を進めているに過ぎません。
しかし、こうした発言は「真実を語っている」と信じる一部の支持層の中で拡散し、SNS上で繰り返し引用されます。やがて、「何度も見聞きする情報」は人の脳の中で“本当らしく”感じられるようになる――これが心理学でいう「真実性の錯覚効果(illusion of truth effect)」です。まさにゲッベルスが言った「嘘も百回言えば真実になる」の現代版と言えるでしょう。
政治の場でこうした“繰り返しの力”が使われることほど危険なことはありません。
民主主義の根幹は、事実に基づいた議論にあります。
デマや陰謀論が繰り返されることで、社会全体の現実認識がゆがめられ、科学的根拠や専門家の意見が「支配者の情報操作」として片付けられてしまう――この構図こそが、民主主義を内側から崩していくのです。
だからこそ、私たちは「繰り返される言葉」に流されない力を持たなければなりません。
真実を守るというのは、一度信じたことを守ることではなく、何度でも検証し直すことです。
情報があふれる時代だからこそ、「この話は本当か?」「信頼できるデータはあるか?」「他の立場の意見はどうか?」と、立ち止まり、確かめ、考え続ける習慣が不可欠です。
政治家が何を語るか以上に、私たち一人ひとりがどう判断するかが問われています。
一度の「信じる」ではなく、繰り返し疑い、繰り返し確かめること――それが、繰り返される嘘に対抗する唯一の方法です。
「嘘も百回言えば真実になる」と言われた時代があった。
ならば私たちは、「真実のも百回確かめて守る」社会をつくるべきです。
事実を積み上げ、誠実な議論を重ねることこそが、民主主義の健全さを支える唯一の道なのです。
ヨーゼフ・ゲッベルス(Joseph Goebbels)について
「大きな嘘でも、繰り返し語れば人はそれを信じるようになる」。この冷たい言葉を実践し、ひとつの国を狂気へと導いた人物がいました。ナチス・ドイツの宣伝相、ヨーゼフ・ゲッベルスでう。
彼はヒトラーの片腕として、暴力ではなく「言葉」で人々の心を支配しました。
1930年代、ゲッベルスは「国民啓蒙・宣伝省」を率い、ドイツ中のメディアを掌握しました。
新聞、ラジオ、映画、演劇、出版――あらゆる情報が彼の指揮下に置かれました。
国民が目にするニュースも、耳にする音楽も、子どもが読む絵本でさえも、ナチスの思想を刷り込むための“道具”でした。
ゲッベルスはよく言っていました。
「大衆は複雑な真実より、単純で強い言葉を求める」と。
彼は敵と味方を明確に分け、「我々は被害者だ」「敵は残酷な陰謀を企んでいる」と語り続けました。
恐怖と憎悪を繰り返し吹き込むことで、人々の心はしだいに一つの方向へと染まっていったのです。
その力は、銃よりも強かったかもしれません。
「戦争は正義だ」と信じ、「ユダヤ人は敵だ」と思い込む人々が増えていく。
事実がねじ曲げられ、感情が真実を押しのけていく――。
ドイツ国民は、知らず知らずのうちに“宣伝の海”に沈められていました。
ゲッベルスは演説でも人々を魅了しました。
低い声で、ゆっくり、確信を込めて話す。
まるで聴衆の心を見透かすように、怒りや誇り、不安を巧みに刺激していきました。
そこには一貫した目的がありました。
「考えさせないこと」。
人が疑いを捨てたとき、嘘は真実に化けるのです。
そして戦争末期。
敗北が明らかになっても、ゲッベルスは「奇跡の兵器で勝てる」と嘘を流し続けました。
国民はそれを信じ、最後の瞬間まで希望を持たされました。
1945年、ヒトラーが自殺すると、彼もまた妻と6人の子どもを道連れにして命を絶ちました。
自ら生み出した“虚構の帝国”とともに、静かに崩れ落ちたのです。

