
フィルターバブルに囲まれる現代の情報環境
現代社会では、私たちが触れる情報はインターネットやSNSのアルゴリズム(ある問題を解決するための手順を順番に記述したもの)によって取捨選択されています。検索サイトで同じ言葉を入力しても、人によって結果が異なるのは、過去の閲覧履歴や関心に基づいて表示順が最適化されているためです。これは便利である一方、異なる意見や事実に触れる機会を失わせ、まるで自分に都合のよい情報だけが反響する「情報の泡」に閉じ込められたような状態を生み出します。専門家はこれを「情報の偏食」と呼び、体の健康と同じように情報との付き合い方にも注意が必要だと警鐘を鳴らしています。
こうした情報環境の偏りは、社会の分断や極端な思想の拡散を助長し、民主主義を揺るがす危険性さえあります。事実、参院選で大きく議席を伸ばした参政党は、ネットを巧みに活用し、SNSやYouTubeなどで支持を広げてきました。しかし、その幹部の発言には重大な歴史認識の歪みがあります。
歴史認識の歪曲—根拠がない思い込みで固められた参政党の主張
神谷宗幣代表は、沖縄戦について「日本軍が県民を殺したわけではない」と発言しました。しかし、実際には沖縄戦で多くの住民が日本軍による強制や命令で自決を余儀なくされ、スパイ容疑で殺害された事例も多数存在します。
さらに神谷氏は、中国大陸での日本軍の行動を「自衛戦争」とし、侵略の事実を否定しました。これは史実に明確に反する発言です。
太平洋戦争の開戦についても、神谷氏は「日本が仕掛けた戦争ではない」と主張しましたが、史実は異なります。東条英機首相は中国からの撤兵を拒み、対米強硬策を進めた結果、真珠湾攻撃に至ったのです。これらの発言は、都合の良い物語を信じたいという願望が、事実に優先されているとしか思えません。
こうした歴史の歪曲がなぜ受け入れられてしまうのか。それは、多くの人がネット上で似た意見や「耳障りの良い情報」ばかりに触れ、偏った情報空間の中で信念を強めてしまっているからです。「マスコミが隠す真実」と銘打たれた情報は刺激的に見えますが、それが本当に事実に裏付けられたものかどうか、一度立ち止まって考える必要があります。
特に若い世代の皆さんには、ぜひ一つの情報源や一方的な主張だけに依存せず、複数の視点から事実を確かめる姿勢を持ってほしいと思います。歴史は私たちの未来を形作る土台です。都合の良い物語ではなく、事実と真摯に向き合うことが、同じ過ちを繰り返さないための第一歩です。
80年前の戦争で命を落とした人々の犠牲の上に、今の平和な日本があります。その事実に目を背けず、歴史をねじ曲げないことこそ、私たちの責任です。情報の偏食に陥らず、事実に基づいた歴史認識を持つことが、未来を守るために必要なのです。
「史実をきちんと認識してこそ、未来は開ける」。この言葉を胸に、情報の檻から抜け出し、真実の歴史に向き合う勇気を持ちたいと思います。

【事実と参政党の主張を検証】沖縄戦、中国大陸での侵略戦争、太平洋戦争の開戦
沖縄戦:「日本軍は沖縄県民を殺していない」という誤り
まず取り上げたいのは沖縄戦をめぐる発言です。沖縄戦とは、太平洋戦争末期の1945年、日本本土唯一の地上戦となった沖縄での日米両軍の激戦です。約3か月間の戦闘で20万人以上が命を落とし、日本側だけでも約18万8000人が犠牲、その半数近くは非戦闘員である沖縄県民でした。この歴史的事実は、多くの生存者の証言や公式の戦史により明らかになっています。
ところが参政党の神谷宗幣代表は今年5月10日、青森市での街頭演説で「日本軍の人たちが沖縄の人たちを殺したわけではない」と発言しました。これは驚くべき歴史認識のズレです。沖縄戦において、日本兵が住民を殺害した事例は多数記録されています。「集団自決(強制集団死)」と呼ばれる悲劇では、日本軍の命令や誘導によって住民が自ら命を断つことを余儀なくされ、多数の犠牲者が出ました。また、スパイ容疑をかけられて住民が日本兵に虐殺された事件も各地で起きています。事実、琉球新報による実態調査では、日本軍に直接殺害された住民だけで298人、さらに軍の命令での自決強要や壕からの追い出しによる犠牲など間接的な殺害を含めると計4766人に上ることが明らかにされています。神谷代表の「日本軍は県民を殺していない」という発言は、こうした史実を真っ向から否定するものに他なりません。当然ながら直後に強い批判が寄せられ、沖縄の地元紙も一面トップでこの問題を報じました。批判を受けて然るべき発言です。
にもかかわらず神谷氏は7月8日、同じ青森市内での街頭演説で「謝罪と訂正を求められたが、一切しない」と公言しました。さらに、「多くの沖縄県民が亡くなったのは米軍の攻撃によってであり、(日本軍による住民殺害は)例外的に悲しい事件があった。大筋の本論を曲げないでほしい」と反論したのです。ここには唖然とさせられました。住民の半数が命を落とす地獄の戦場となった沖縄戦において、味方であるはずの日本軍が住民を殺めた事実こそが「本論」ではないでしょうか。守るべき住民を自ら手にかけてしまった—その極限状態がまさに大日本帝国の戦争の本質を物語っています。それを「例外」と片付けてしまう神谷氏の姿勢は、沖縄の犠牲者への冒涜であり、歴史の教訓をないがしろにするものです。「例外的」どころか、沖縄戦では各地で住民虐殺や自決強要が起きており、決して一部の悲劇では済まされません。神谷氏の発言は事実を矮小化し、聞き手に誤解を与える非常に不正確で有害なものだと断言せざるを得ません。
中国侵略の否定:「自衛戦争」説のデタラメ
神谷代表の歴史認識の歪みは沖縄戦に留まりません。6月23日、今度は沖縄県那覇市での街頭演説において、日中戦争と太平洋戦争の経緯について次のように主張しました。「(日本は)中国大陸の土地なんか求めてないんですよ。日本軍が中国大陸に侵略していったというのはウソです。違います。中国側がテロ工作をしてくるから、自衛戦争として、どんどん行くわけですよ」と。耳を疑う発言です。第二次世界大戦期の日本の大陸進出が「侵略ではなかった」「中国への自衛のためだった」などという主張は、歴史の事実に完全に反します。
歴史を振り返れば、日本は1905年の日露戦争に勝利し中国東北部(南満州)の利権を得て以降、大陸への野心を強めていきました。1931年には関東軍(満洲駐屯の日本陸軍)が謀略により柳条湖事件(満洲事変)を引き起こし、中国東北の領土を強引に占領。1932年には日本の傀儡国家である「満洲国」を樹立し、以後も中国本土への侵攻を拡大していきました。1937年に勃発した日中戦争(支那事変)では、盧溝橋事件を機に日本軍は北京・上海から南京へと大規模な侵攻を開始し、中国各地を占領していきます。
これらの経緯から見て、日本が「中国の土地を求めていなかった」「侵略ではなかった」などとは到底言えません。実際、参政党自身が公式に「太平洋戦争(大東亜戦争)は侵略戦争ではなかった」「欧米の植民地支配からアジアを解放する戦争だった」との立場を示しており、これは戦後国際社会や歴史学界の共通認識と真っ向から対立する歴史修正主義的主張です。
これらの主張には、歴史的事実よりも「こう信じたい」という願望が優先されているように見えてなりません。
神谷代表は日本の中国大陸進出を「中国側のテロ行為への自衛」だと強弁しました。しかし、もし逆に日本が外国から侵略されたなら、当然ながら日本の軍民も激しく抵抗したでしょう。それを「テロ」と呼ぶのは明らかに無理があります。中国側にとって日本軍はまさしく外からの侵略者であり、自国防衛の戦いをしていたという理解が自然です。加害者と被害者を逆転させるような神谷代表の言説は、歴史事実の歪曲であり、中国のみならず多くの戦争被害国に対する侮辱と言えるでしょう。
太平洋戦争の責任転嫁:「日本が仕掛けていない」?
さらに神谷代表は同じ演説で太平洋戦争(大東亜戦争)について「日本が仕掛けた戦争ではない」「真珠湾攻撃で始まったのではない」と語り、「当時首相だった東条英機はアメリカと戦争しないこと、中国(当時存在しないが、蒋介石や毛沢東らの軍閥)と和平しようとしていた。しかし昔も今も戦争しようとする勢力がいる」といった趣旨の主張を展開しました。これも歴史の事実に反します。
東条英機が首相に就任したのは1941年10月です。その直前、先代の近衛文麿首相は対米戦争回避の道を模索していました。近衛は同年9月から10月にかけ、米国との交渉で妥協策を探りますが、陸軍大臣だった東条英機は米側が要求した「中国からの撤兵」を最後まで拒絶しました。この強硬姿勢により外交的打開を断念せざるを得なくなった近衛内閣は総辞職し、後任に東条が指名されたのです。就任後の東条首相は陸海軍や政府内の慎重論を抑えて対米開戦を決断し、1941年12月8日(真珠湾攻撃)へと突き進みました。東条英機は一貫して対中強硬・対米強硬の立場に立っており、中国との和平を本気で模索したという史実は存在しません。むしろ和平を模索していたのは東条ではなく近衛でした。神谷代表の「東条首相が戦争回避に努めていた」という主張は、史実を真逆に捉えた誤りといえます。
また神谷代表は「大東亜戦争を仕掛けたのは日本ではない」とも述べました。では一体誰が仕掛けたというのでしょうか。中国でしょうか、それとも米英側でしょうか。太平洋戦争は日本がハワイの真珠湾を奇襲攻撃したことで始まったというのが歴史の動かぬ事実です。侵略的行動の結果としてアメリカやイギリスと戦火を交えるに至ったのは、他ならぬ日本の指導者たちの決断でした。「日本は悪くなかった」「日本は侵略していない」という物語は、一部の人には都合が良いかもしれませんが、それは歴史の真実ではなく単なるフィクションです。
神谷氏ら参政党の歴史観は、まさに「信じたい歴史しか信じない」姿勢の表れです。しかし、その先に待っているのは再びの過ちでしかないと強く感じます。

若い世代への訴え—事実に向き合い、バランスの取れた情報を
以上見てきたように、参政党神谷代表の歴史認識には重大な歪みがあります。それがなぜ広まってしまうのかを考えると、冒頭で述べた「情報の偏食」の問題と無関係ではないでしょう。
彼らの主張に共鳴する人々の中には、おそらくネット上で愛国的な情報や陰謀論的なコンテンツばかりを摂取し、偏った情報空間の中で信念を強めてしまった方々も少なくないはずです。「他の政党やマスコミが教えてくれない“真実”」という触れ込みで発信される動画や記事は刺激的で、特に若い世代には新鮮に映るかもしれません。しかし、その情報は本当に事実に裏付けられたものでしょうか?
私はここで、特に若い皆さんに強く訴えたいのです。どうか一つの情報源や一つの主張だけを鵜呑みにしないでください。自分の好きなもの、信じたいものだけを摂取する情報の偏食は、気付かぬうちにあなたの認識を歪めてしまいます。
今回取り上げた参政党の歴史観は、その極端な例です。甘美な物語に酔いしれて「日本は悪くない」「真実は隠されている」といった言説に飛びつく前に、ぜひ多角的な視点から事実を確かめる習慣を身につけてほしいのです。
一次資料や専門家の研究、複数の信頼できる報道にあたってみれば、神谷代表の主張がいかに独善的で根拠薄弱かは自ずと見えてくるでしょう。
過去につながらない未来はありません。私たちの未来を形作るのは、過去の事実と真摯に向き合う姿勢です。たとえそれが自分たちにとって都合の悪い歴史であっても、目を背けずに認識することが、同じ過ちを繰り返さないための第一歩です。情報洪水の現代だからこそ、一人ひとりが「情報の健康」に気を配り、バランスの取れた情報摂取を心がける必要があります。好きなものばかり食べていては体を壊すのと同じように、好きな情報・都合の良い主張ばかり浴びていては健全な思考は育ちません。
テレビのニュースや解説、新聞や雑誌などの活字メディア、いわゆるオールドメディアの論説にも目や耳を傾ける履きです。そして何より、戦争や激動の歴史を体験してきた現場の声を学ぶべきです。
80年前の悲劇から学ぶべきことは何でしょうか。沖縄戦で命を落とした無辜の島民たち、アジア諸国で犠牲となった無数の人々…。彼らの犠牲の上に、今の平和な日本があります。その事実に思いを致すとき、歴史をねじ曲げることなど到底許されません。情報の偏食に陥らず、歴史の痛みにきちんと向き合うことが、私たち若い世代の使命ではないでしょうか。参政党の主張に感じる「違和感」や「危うさ」の正体は、まさにそうした歪んだ情報環境が生み出した幻想です。私たちは冷静に事実を積み重ね、対話と思考を通じてそれを乗り越えていかなければなりません。