Skip to content
ひたみち日記

ひたみち日記

井手よしひろが茨城県日立市からローカルな情報を発信中

Primary Menu
  •  ホーム
  • ご挨拶
  • プロフィール
  • 投稿一覧
  • facebook
  • X.com
  • youtube
  • 地創研
  • ご感想・ご意見
動画配信
  • 平和・軍縮
  • 憲法・安全保障
  • 私の主張・政策・論文
  • 高市自民党

多数派の時代こそ国民の監視を――戦前の議会変質史から、今後の国会を俯瞰する

管理者 2026年2月11日
260211image00

大正デモクラシーの時代から終戦に至るまで、日本の議会がどのように変質していったのか、そしてその歴史を、いま私たちはどのように受け止めるべきなのかについて、あらためて考えてみたいと思います。

1928年、日本で初めて普通選挙が実施されました。すべての成年男子に選挙権が与えられ、国民が政治の主体として認められた歴史的な瞬間でした。この選挙では、立憲政友会と立憲民政党がほぼ互角に議席を分け合い、議会政治は順調に成熟しつつあるかに見えました。
その背景には、1924年に成立した加藤高明内閣以来続いてきた、「憲政の常道」という政治文化がありました。選挙で勝った政党が責任を持って政権を担い、議会で議論を重ねながら政策を決めていく。この当たり前の仕組みが、当時の日本には確かに存在していたのです。

しかし、この安定は長くは続きませんでした。1929年の世界恐慌によって経済は混乱し、失業や農村の困窮が深刻化します。1930年の選挙では民政党が大勝しましたが、金解禁政策の失敗などにより、国民の不満は急速に高まっていきました。政党政治への信頼は、ここから少しずつ揺らぎ始めていきます。
決定的な転機となったのが、1931年の満州事変、そして1932年の五・一五事件でした。この事件で、当時の首相であった犬養毅が暗殺され、政党内閣は突然終焉を迎えます。話し合いよりも暴力が正当化される社会の空気が広がり、軍部の発言力は一気に強まっていきました。
1932年の総選挙では政友会が圧勝しましたが、すでに政治の主導権は政党から軍部・官僚へと移りつつありました。選挙で勝っても自由に政策を決められない。議会は次第に「形式だけの民主主義」へと変わっていったのです。

決定的な転機となったのが、1931年の満州事変、そして1932年の五・一五事件でした。この事件で、当時の首相であった犬養毅が暗殺され、政党内閣は突然終焉を迎えます。話し合いよりも暴力が正当化される空気が社会に広がり、軍部の発言力は一気に強まっていきました。

1932年の総選挙では政友会が圧勝しましたが、すでに政治の主導権は、政党から軍部や官僚へと移りつつありました。選挙に勝っても自由に政策を決められない。議会は次第に「形式だけの民主主義」へと変質していったのです。

1930年代後半になると、二大政党は内部対立や不祥事に苦しみ、国民の信頼をさらに失っていきました。その中で一定の存在感を示したのが、社会大衆党でした。同党は、労働者や農民の立場に立ち、社会保障や生活重視の政治を掲げ、「第三の選択肢」として期待を集めました。
しかし、社会大衆党は、次第に体制との協調を強めていきました。かつては生活重視や軍事費抑制を掲げていたものの、戦争が長期化する中で、弾圧を避けるために戦時体制に歩み寄っていったのです。

そして1940年、新体制運動が進められる中で、社会大衆党は比較的早い段階で、大政翼賛会への参加を表明しました。本来、権力を監視すべき立場にあった政党が、みずから体制に組み込まれていったことは、民主主義の後退を象徴する出来事だったと言えるでしょう。

1940年(昭和15年)2月2日、帝国議会衆議院本会議において、斎藤隆夫がいわゆる「反軍演説」を行いました。民政党の代議士として、日中戦争の長期化や軍部の専横を厳しく批判し、「この戦争は国を誤らせる」と正面から訴えました。
この演説は、戦時体制が強まる中で極めて異例のものであり、大きな衝撃を与えました。しかし、その結果、斎藤氏は議会から除名され、政治の表舞台から事実上排除されてしまいます。この出来事は、当時の議会がすでに自由な言論を許さない段階に入っていたことを如実に表しています。

同じ1940年、近衛文麿が進めた新体制運動によって、政友会や民政党などの既成政党もすべて解散されます。こうして日本は、事実上の一党体制へと移行していきました。
そして1942年、いわゆる「翼賛選挙」が行われます。政府推薦候補が圧倒的多数を占め、議会は完全に戦争遂行のための追認機関となりました。選挙はありましたが、そこに実質的な選択の自由はありませんでした。
こうして、日本の議会は、わずか十数年の間に、「国民の代表機関」から「権力の追認装置」へと変質してしまったのです。そして、そのまま新たな総選挙も行われることなく、1945年の終戦を迎えました。

こうした歴史から私たちが学ぶべき最大の教訓は、民主主義は、制度があるだけでは守れないということです。選挙があり、議会が存在していても、国民が無関心になり、監視の目を緩めた瞬間に、民主主義は簡単に形骸化してしまいます。

ここで、現代の日本に目を向けてみたいと思います。現在、国会では自由民主党が衆議院で3分の2を超える議席を占める、極めて強い多数を持つ状況が生まれました。これは、法改正や憲法論議においても、極めて大きな影響力を持つ数字です。
もちろん、多数を得たこと自体は、選挙による正当な結果・民意に他なりません。
しかし、問題は「その後」です。強大な多数派が生まれたときこそ、本来は、より一層厳しい監視と議論が必要になります。もし国民が「任せておけば大丈夫」と思考停止してしまえば、かつての翼賛体制と同じように、議会が形だけの存在になってしまう危険性すらあります。
戦前の日本でも、最初から独裁があったわけではありません。少しずつ、少しずつ、議論が封じられ、異論が排除され、気がついたときには戻れないところまで来てしまっていたのです。
社会大衆党が体制に飲み込まれていった過程も、二大政党が自浄能力を失っていった過程も、すべては「仕方がない」「今は非常時だから」という空気の積み重ねでした。その結果が、戦争と破滅でした。

私は、この歴史を決して「昔の失敗談」で終わらせてはいけないと思っています。民主主義とは、選挙の日だけ参加するものではありません。日常的に政治を見つめ、疑問を持ち、声を上げ、議会の動きをチェックし続けること。その積み重ねによってのみ、守られるものです。
いま、私たちに求められているのは、「強い政権だから安心」ではなく、「強い政権だからこそ、より厳しく見る」という姿勢ではないでしょうか。
地域の課題、防災の問題、暮らしの不安、経済の行方。すべては政治と深く結びついています。だからこそ、一人ひとりが主権者としての自覚を持ち、議会を見つめ続けることが、これからの日本を守る最大の力になるのだと思います。

大正デモクラシーが静かに失われていった歴史を、私たちは決して忘れてはなりません。その教訓を胸に刻みながら、これからも、民主主義を支える側として、前向きに行動していきたいと思います。

印刷する 🖨
閲覧数 11

Continue Reading

Previous: ヒットラーのポスター戦略から学ぶもの

Related Stories

260209image5
  • 憲法・安全保障
  • 私の主張・政策・論文
  • 高市自民党

ヒットラーのポスター戦略から学ぶもの

管理者 2026年2月10日
260209image3
  • 私の主張・政策・論文
  • 高市自民党

国民から選ばれて生まれた独裁――ドイツが歩んだ危ない路を検証

管理者 2026年2月10日
260205asou
  • 2026衆院選
  • 平和・軍縮
  • 憲法・安全保障
  • 私の主張・政策・論文
  • 高市自民党

『やられたらやり返す』日本でいいのか/強さを強調する政治への危機感

管理者 2026年2月6日



井手よしひろです。 茨城県の県政情報、 地元のローカルな話題を 発信しています。 6期24年にわたり 茨城県議会議員を務めました。
一般社団法人地方創生戦略研究所
https://y-ide.com
master@y-ide.com

2026年2月
月 火 水 木 金 土 日
 1
2345678
9101112131415
16171819202122
232425262728  
« 1月    

最近の投稿

  • 多数派の時代こそ国民の監視を――戦前の議会変質史から、今後の国会を俯瞰する
  • ヒットラーのポスター戦略から学ぶもの
  • 国民から選ばれて生まれた独裁――ドイツが歩んだ危ない路を検証
  • 舞台と客席が一つになった感動空間――日立の誇りを描いた市民劇「石のこえ みらいのまち」
  • 『やられたらやり返す』日本でいいのか/強さを強調する政治への危機感

アーカイブ

カテゴリー

  • 茨城県の取組「ここがすごい!」(第2次茨城県総合計画~主要指標等実績一覧~)
    2026年2月11日
  • 野鳥における高病原性鳥インフルエンザについて
    2026年2月2日
  • 知事定例記者会見(令和8年1月30日)
    2026年1月30日
  • いばらきパートナーシップ宣誓制度を実施しています
    2026年1月15日
  • 救急搬送における選定療養費の徴収開始について
    2026年1月5日
  • “党声明” 中道の塊を大きくして野党第1党の責任果たせ
  • 衆院選 中道は49議席
  • 両共同代表が辞意表明
  • 【主張】衆院選の結果 中道政治に1千万人超が期待
  • コラム「北斗七星」
このホームページ(Blog)へのリンクは自由に行ってください。
文章の引用等も自由です。
ただし、リンクや引用等によって生じた不利益に対して、管理者はその責任を負いかねますので、ご容赦ください。
Copyright © All rights reserved. | MoreNews by AF themes.