第一次世界大戦の敗北とヴェルサイユ条約によって、深い屈辱と経済的困窮を背負わされたドイツ。その不安と絶望の中から、いかにしてナチスは議会を掌握し、独裁政権へと突き進んでいったのか。本日は、その過程を、選挙結果と具体的な戦略を軸にしながら、振り返ってみたいと思います。


▶ 絶望の時代に現れた「過激な少数派」
1920年代後半まで、ナチスは決して有力な政党ではありませんでした。1928年5月の総選挙では、獲得議席はわずか12議席、全体の約2.6%にすぎず、数ある小政党の一つに過ぎなかったのです。
しかし、1929年の世界恐慌がすべてを変えました。企業は倒産し、失業者は600万人を超え、人々は明日の生活すら見通せなくなりました。議会では民主派政党が連立を組み、議論を重ねていましたが、有効な対策は打ち出せず、国民の間には「民主主義は何も解決してくれない」という失望感が広がっていきました。
この閉塞感の中で、ナチスは「仕事とパン」という極めて分かりやすい言葉で人々の心をつかみます。そして、カリスマ的指導者であるアドルフ・ヒトラーの演説は、「ドイツを再び偉大な国にする」という希望を与えるものでした。
▶ 1930年選挙――危機を「追い風」に変えた大躍進
1930年9月の総選挙で、ナチスは一気に107議席を獲得し、第2党に躍進します。わずか2年前の約9倍という、異例の伸びでした。
この背景には、緻密に計算された戦略がありました。
ナチスは、農民には「農業保護」を、労働者には「雇用の創出」を、中産階級には「秩序の回復」を訴え、対象ごとにメッセージを使い分けました。矛盾しているようでいて、「誰にとっても都合の良い夢」を見せる手法だったのです。
さらに、宣伝責任者であったヨーゼフ・ゲッベルスの下で、ラジオ・ポスター・映画を駆使した大規模なプロパガンダが展開されました。ヒトラーは「空飛ぶ候補者」と呼ばれ、飛行機で全国を回り、短期間で数十か所の演説をこなしました。これは当時としては画期的な選挙戦術でした。
危機を最大限に利用し、「変化」を求める大衆心理を巧みにすくい取った結果が、この大躍進だったのです。
▶ 1932年7月選挙――ついに第一党へ、しかし過半数には届かず
1932年7月の選挙で、ナチスは230議席を獲得し、ついに議会第一党となります。全体の約37%。表面的には、政権奪取まであと一歩に見えました。
しかし、ここで重要なのは、ナチスは一度も単独過半数を取っていないという事実です。
この時点でも、議会の過半数には届かず、政権運営には連立が不可欠でした。しかしヒトラーは、他党との妥協を拒み、「首相の座は自分だけのものだ」と主張し続けます。その結果、議会は完全に機能不全に陥りました。
政治が動かない状況が続くほど、国民の不満は高まり、「強い指導者」を求める声がさらに強まっていきました。これは、ナチスにとって都合のよい環境でした。
▶ 1932年11月選挙――一時的な失速と「裏の政治」
同年11月の再選挙では、ナチスは196議席に後退します。勢いに陰りが見え、「ナチスブームは終わった」と見る向きもありました。
しかし、この時期から、舞台裏での政治工作が本格化します。
ヒトラーは、保守派エリートや大統領周辺と交渉を重ね、「自分を首相にすれば、ナチスを制御できる」と思い込ませました。結果として、1933年1月30日、ヒトラーは正式に首相に任命されます。
これは、選挙による勝利ではなく、エリート層の誤算によって与えられた政権でした。
▶ 1933年選挙――恐怖の中で行われた「最後の選挙」
首相就任直後の1933年2月、国会議事堂放火事件が起こります。ナチスはこれを共産党の仕業と断定し、非常事態令を発動しました。
言論の自由は制限され、共産党員や社会民主党員は次々と逮捕され、街には突撃隊(SA)があふれました。事実上の「準戒厳状態」の中で、3月の総選挙が実施されたのです。
この選挙でナチスは288議席、約44%を獲得します。大きく伸ばしましたが、それでも過半数には届きませんでした。
ここにも、「選挙だけでは独裁に至れなかった」という現実が表れています。
▶ 全権委任法――議会が自ら権力を手放した瞬間
独裁体制の決定打となったのが、1933年3月23日の全権委任法です。
これは、政府に立法権を委ねる、事実上の憲法改正でした。成立には3分の2の賛成が必要でしたが、ナチスは次のような「強制的多数派」を作り出しました。
まず、共産党の81議席を無効とし、議会から排除しました。次に、中央党など中道勢力に圧力をかけ、「賛成しなければ弾圧する」と示唆しました。そして、議場の周囲を突撃隊で取り囲み、物理的な威圧の中で採決を行ったのです。
こうして、自由な議論は封じられ、全権委任法は可決されました。議会は、自らの手で民主主義を終わらせた瞬間でした。
▶ なぜ人々はナチスを支持したのか
この過程を振り返ると、ナチスの成功は、単なる選挙戦術の巧みさだけでは説明できません。
失業、貧困、屈辱感、将来への不安。こうした感情が積み重なる中で、人々は「合理的な判断」よりも、「救ってくれそうな物語」を求めるようになりました。
ナチスは、「我々は選ばれた民族だ」「敵さえ倒せば再生できる」という単純で力強い物語を提示しました。このナラティブは、傷ついた誇りを癒す麻薬のような役割を果たしたのです。
ナチスの権力掌握は、クーデターではなく、選挙と制度の内部から進みました。一つひとつは合法的でありながら、その積み重ねが、自由を奪っていったのです。
過半数を取らなくても、恐怖と分断と操作によって、民主主義は壊れていく。ドイツの歴史は、そのことを私たちに厳しく教えています。
現代社会に生きる私たちにとって、この歴史は決して「過去の話」ではありません。不安が広がる時代ほど、「強さ」や「単純な答え」に人は惹かれます。そのときこそ、冷静に考え、対話を守り、制度を支える努力が求められるのではないでしょうか。
この歴史を学ぶことは、未来の民主主義を守るための、最も確かな備えの一つだと、私は強く感じています。
