― 農村部ほど恩恵が小さくなる“構造的な欠点”を見つめて ―
政府の補正予算が成立し、いよいよ各自治体で物価高対策の具体的な設計が始まろうとしています。その柱の一つとして注目を集めているのが「お米券」の配布です。米価高騰が続き、コメが家計を押し上げているという状況は確かに深刻ですから、コメ購入を支援するというアイデア自体は自然な発想に映ります。しかし、制度の仕組みを丁寧に見ていくと、この「お米券」はいくつかの致命的な欠陥が浮かび上がってきます。

最も大きな欠陥は、物価高対策にはならないのではないかという疑問です。
今回の物価高の大きな要因として、コメ価格の上昇が家計に与える影響は決して小さくありません。三菱総研の分析によれば、2025年のコアCPI上昇率の約2割以上をコメ関連品目が押し上げているという数字も示されており、主食であるコメが家計に突き刺さるように値上がりしている現実を物語っています。こうした状況で「コメに目を向けた支援」を行うという方向性は、ある意味で自然な反応だったのかもしれません。しかし、対策の手段として「米に限定された金券」を前面に押し出すことが、本当に生活を支える最適なアプローチなのかという点については、慎重に考える必要があります。
そもそも政府の経済対策は“お米券だけ”を想定したものではなく、食料品全般を念頭に置いています。それにもかかわらず「お米券」という言葉だけが強く広まり、政策の本来の意図よりも“キャッチーな名称”が独走してしまった印象は否めません。政策コミュニケーションがずれたまま走り出すと、生活者が求める支援と実際に届く施策との間に距離が生まれ、本来の目的がかすんでしまいます。
そしてもうひとつの問題は、制度の中に「物価高対策」と「低所得支援」という性格の異なる目的が同居していることです。重点支援地方交付金にはもともと低所得世帯向けの枠が含まれており、全国一律の物価高対策と、対象を絞った所得再分配政策が同じ器で扱われています。この構造のまま自治体に判断を委ねれば、どの家庭にどれだけの支援が届くのか、地域ごとに大きな差が生まれかねません。全国規模の物価高対策なのに、実際の効果や公平性が自治体の事務能力や予算執行の判断に左右されてしまうのは、決して望ましいことではありません。
さらに、今回の「お米券」には期限の設定が検討されており、翌年9月末までに使い切るよう求める方向性が示されています。表向きは家計を早期に支えるためと説明されますが、実際には「期限があるから」と値下がりを待たずにコメを購入する行動を誘発し、市場が本来向かうはずだった価格調整を遅らせるリスクがあります。物価高対策として導入するのに、その対策がかえって価格を下支えしてしまう可能性があるのですから、ここは慎重な検証が必要です。
制度面の問題を見ても、お米券にはいくつかの大きな欠点があります。その一つが、券を発行している団体が事実上2つに限られており、その仕組みの中で500円券が実際には440円分の価値しか持たないという点です。差し引かれる60円は印刷・配送・精算システムなどの経費とされていますが、生活者支援として考えると「支援額が最初から12%目減りして届く」という構造的な問題を抱えています。さらに自治体の発送や問い合わせ対応といった事務費用が加わることで、実際に手元に残る価値はさらに小さくなります。
また、見逃せないのが、「お米券が使える店が限られている」という実態です。都市部であればスーパーや量販店で利用できますが、農村部では事情が大きく異なります。地方では、親戚や近所の農家から玄米を直接購入したり、地域の生産者と長年のつながりの中でお米を買い続けている家庭が少なくありません。ところが、お米券は加盟店方式で運営されているため、農家個人との取引では使えません。加盟のための事務手続きや精算業務は農家にとって負担が大きく、そもそも制度設計が直販の購買スタイルを想定していないからです。
この点は、農村部の生活者にとって決定的です。都市部と違い、地元の農家から直接お米を買うことが日常である地域では、「お米券が使えない」ために支援の価値が大きく損なわれてしまいます。物価高対策は本来、どんな地域に暮らしていても同じように恩恵を受けられる形で設計されるべきですが、今回の支援は購買スタイルの違いによって有効性に差が出るという重大な問題を抱えています。
こうして見ると、お米券は「困っている人を助ける」という本来の目的から少し外れた方向に動き始めているように感じます。支援額が目減りする仕組み、事務費の増大、使える店舗の限界、直販文化の強い農村部で恩恵が極めて小さいという地域間格差、そして市場への影響。どれを取っても、生活者の実感に寄り添う政策とは言い難い状況です。
とはいえ、補正予算が成立し、事業が動き出すことはすでに決まりました。ここから先は、自治体がどれだけ知恵を絞って、生活者に寄り添った形で制度を運用できるかが重要になります。「お米券に固執しない食料品支援の設計」「目減りの少ない配布方法」「農村部の生活実態に合わせた別の支援手段」など、自治体ごとに工夫できる余地は大きいはずです。
国の用意した枠組みをどう生かし、どう修正して地域に合わせていくのか――今まさに、市町村の腕の見せどころです。物価高が続くなかで本当に必要なのは、“やった感”のための施策ではなく、生活の現場と丁寧に向き合う支援です。政策の成否は、これから始まる自治体の判断と創意工夫にかかっていると感じています。
