12月12日の毎日新聞が報じた内容は、台湾有事をめぐる高市首相の国会答弁について、政府が用意していた答弁資料(答弁案)と、実際の首相答弁が大きく食い違っていた事実を明らかにしたものでした。開示された文書は、政府が従来から維持してきた「仮定の質問には答えない」「個別具体の状況に即して慎重に判断する」という、極めて冷静で節度ある方針がしっかりと記されていました。
しかし、首相の口から国会で語られたのは、この原案を超えた踏み込みであり、台湾有事を“存立危機事態になり得る”と断定的に述べたことが、今回の問題の核心となっています。



■ 原案が示していたのは「仮定の質問には答えない」という揺るぎない原則
政府が辻元議員に提出した資料には、台湾有事をめぐる答弁の基本姿勢が明確に記載されていました。そこには、台湾の問題は対話による平和的解決を期待するという従来の立場の確認があり、あわせて「台湾有事という仮定の質問には答えない」とはっきり記されていました。また、存立危機事態に該当するか否かについても、個別具体の状況を慎重に判断し、政府がすべての情報を総合して決定するという立場が貫かれていました。これは、過去の政権が積み上げてきた国会答弁の蓄積を踏まえ、安全保障をめぐる不用意な発言が国際社会に影響を及ぼすことを避けるための、極めて冷静なガイドラインと言えます。さらに、有識者などの個別の発言について逐一コメントしないという姿勢も示されており、政府としての一貫した慎重姿勢が明瞭に確認できます。
■ それでも首相は原案を踏み越えて“存立危機”を語った
ところが、11月7日の予算委員会で高市首相は、こうした政府原案には存在しない言葉を自ら口にしました。「武力行使を伴うものであれば、どう考えても存立危機事態になり得る」と述べ、台湾情勢をめぐる仮定の議論に踏み込んだのです。
これは、原案が繰り返し避けようとしていた内容であり、首相が自ら政府の慎重な答弁ラインを越えた形となりました。
安全保障に関する言葉は、その一言が外交関係に鋭い刺激を与えかねず、まして台湾海峡に緊張が続く現状では、首相発言の持つ意味は極めて重いものになります。資料を請求した辻元清美議員が「もう少し慎重であるべきだった」と指摘したのも当然であり、政府担当者が「首相は総合判断の原則を答弁していた」と釈明せざるを得なかった状況そのものが、今回の発言が従来の政府答弁ラインから逸脱していたことを示しています。
■ 国の安全保障に向き合うなら、いま必要なのは“冷静な政府の姿勢”を守ること
こうした経緯を振り返ると、今回の問題は単に「言い間違い」や「表現の問題」ではなく、政府として積み重ねてきた慎重な立場を、首相自らが揺るがしてしまったことにあります。
存立危機事態という言葉は、国の安全保障や自衛隊の行動に直結する重大な概念ですから、軽々に取り扱えば国際社会に不必要な緊張をもたらしかねません。
その点で、政府原案にあった静かで落ち着いた答弁方針こそ、いまの国際環境に必要な姿だと感じます。
台湾海峡の平和と安定は日本にとっても世界にとっても重要であり、そのためには力の誇示ではなく、対話を促す冷静な外交姿勢が求められます。
国の舵取りを担う立場であるならば、自らの発言がもつ影響力を深く理解し、原案が示していた「仮定には答えない」「状況を見極める」という、慎重で一貫したラインを守ることこそ必要ではないでしょうか。今回の出来事は、政権に求められる言葉の重みを、改めて私たちに考えさせるものとなりました。
