自民党が新たに作成したポスター。「日本列島を、強く豊かに。」という言葉に、どうしても拭えない違和感を覚えました。一見すると前向きで力強い表現に見えますが、言葉を丁寧に読み解いていくと、そこには慎重に考えるべき問題がいくつも含まれているように思います。
まず気になるのは、なぜ「国民」ではなく「日本列島」なのか、という点です。政治が向き合うべき対象は、本来、そこに暮らす一人ひとりの人間、すなわち国民のはずです。生活の不安、将来への心配、地域ごとの課題にどう応えるのか。そうした視点こそが民主主義の土台です。それにもかかわらず、今回のポスターでは、人ではなく「列島」という領土概念が前面に出ています。この言葉は、北海道から沖縄までをひとまとめにする便利な表現である一方で、北方領土、竹島、尖閣諸島といった、現在も続く領土問題を否応なく想起させるものでもあります。あえて曖昧な形で領土意識を刺激する、その政治的な意図を感じ取る人がいても不思議ではありません。
さらに、「強く」という言葉には、より強い違和感を覚えます。誰に対して強くなるのでしょうか。何に立ち向かうための強さなのでしょうか。その説明がないまま「強さ」だけが強調されるとき、そこには力や威圧、対立を前提とした発想が透けて見えます。強さが安心や包摂ではなく、競争や支配として語られるならば、それは社会を分断しかねません。その奥底に、どこか傲慢さや強権的なものの見方が潜んでいるように感じてしまいます。
この言葉の組み合わせは、どうしても、かつて日本が掲げた『富国強兵』というスローガンを思い起こさせます。国を豊かにし、強くすることを最優先に掲げたその時代、個々の暮らしや声は、しばしば後回しにされました。もちろん、今の日本が同じ道を歩んでいると単純に言うことはできません。しかし、「人」よりも「国土」や「強さ」を前に出す言葉選びには、歴史の教訓に照らして慎重であるべきだと感じます。
本当に求められているのは、外に向かって誇示する強さではなく、内側から支え合うしなやかな強さではないでしょうか。災害に備える力、困っている人を見捨てない力、地域や世代の違いを乗り越える力。そうした強さは、「列島」ではなく、「人」に目を向けた政治からしか生まれません。
スローガンは、政治の姿勢を象徴します。だからこそ、その主語が何であるのか、その言葉がどんな歴史や感情を呼び起こすのかを、私たちは見逃してはいけないと思います。「日本列島を、強く豊かに。」という言葉が投げかけているのは、単なるキャッチコピー以上に、これからの日本の政治がどこを向こうとしているのか、という根源的な問いなのではないでしょうか。
