昨年12月22日、千葉大学大学院社会科学研究院の小林正弥教授、水島治郎教授、石戸光教授の三名が、昨年の参議院選挙を対象に行った大規模な意識調査の分析結果を公表しました。
この研究の大きな特徴は、選挙結果を単なる政党戦略や争点設定から読み解くのではなく、「ウェルビーイング(幸福度)」という視点から、日本の有権者の政治行動を捉え直した点にあります。近年、世界各国で注目されているウェルビーイングという概念を、日本の選挙分析に本格的に導入した意義は決して小さくありません。
調査の核心は、有権者が感じている主観的な幸福度、すなわちウェルビーイングの低下が、政治的な選択にどのような影響を与えているのかを明らかにすることでした。研究チームは、生活満足度や将来への安心感、社会や政治への信頼感、孤立感など、複数の指標を用い、それらと投票先や政治的態度との関係を統計的に分析しています。
その結果、ウェルビーイングが低い層ほど、既存の政治や制度に対する不信感が強く、現状を大きく変えることを訴える、いわゆるポピュリズム的な政党や政治勢力を支持する傾向が、明確に確認されたと報告されました。とりわけ、経済的な不安や将来展望の乏しさ、社会から取り残されているという感覚を抱く人ほど、「既存政治への怒り」や「エリート批判」と親和性の高いメッセージに引き寄せられやすいことが示されています。
小林教授らは調査結果から各党のポピュリズム性についても分析。「右派のポピュリズム政党」として、日本維新の会、国民民主党、参政党、日本保守党が、「左派のポピュリズム政党」として、れいわ新選組が浮かび上がりました。
その上で各党支持者のWBを分析すると、ポピュリズム政党を支持する人はWBが低く、公明党支持者のWBは中間程度、立憲民主党や自民党などの支持者はWBが高い傾向にあった。維新の会はポピュリズム政党に含まれるが、例外的に支持者のWBが高かったといいます。
小林教授らは、参院選で右派のポピュリズム政党と見られる勢力が台頭したことに関して、「年齢や性別などの属性、政策の内容よりも、国民のWBの低下が選挙結果への影響要因として大きい」と指摘。さらに「WBの低下と右派ポピュリズムの台頭は、民主主義の危機へとつながりかねない」と警鐘を鳴らし、ポピュリズム的でない政党に対し、政策の改善や価値を訴えることを通じてWB増加への好循環をめざすよう訴えました。
もっとも、こうした分析は、「不満がある人が過激な選択をする」という単純な図式を示すものではありません。研究チームは、ウェルビーイングの低下が、ある人にとっては政治への無関心や棄権につながり、別の人にとっては強いメッセージを掲げる政党への支持に転化するという、二つの側面を持つことを指摘しています。幸福度の低下は、政治参加の縮小と政治の分断化という、民主主義にとって二重のリスクを同時に進めかねないという警鐘でもあります。
さらに今回の発表では、日本におけるポピュリズムの特徴にも言及されました。欧米諸国に見られるような急進的、排外的なポピュリズムとは異なり、日本では比較的穏健な言葉遣いであっても、「既存の政治は信用できない」「今の仕組みは国民を幸せにしていない」といった感情を巧みにすくい取る政治的言説が、ウェルビーイングの低い層に強く響いていると分析されています。この点は、日本社会に広がる静かな不安の存在を、鋭く映し出しているようにも感じられます。
ウェルビーイングとは、「その人が自分の人生や社会の中で、どれだけ満たされ、安心し、尊重されていると感じているか」という総合的な状態
ここで、教授たちが重視している「ウェルビーイング」という概念について、あらためて整理しておきたいと思います。
彼らが用いているウェルビーイングとは、単に経済的に豊かであるかどうか、あるいは一時的に幸せな気分であるかどうかを指すものではありません。所得水準や雇用状況といった客観的な経済指標だけでは捉えきれない、「その人が自分の人生や社会の中で、どれだけ満たされ、安心し、尊重されていると感じているか」という総合的な状態を意味しています。
日々の暮らしへの満足感、将来への見通しや安心感、社会や政治への信頼、他者とのつながりの実感、自分が社会の一員として認められているという感覚。こうした要素が重なり合って、ウェルビーイングは形成されます。重要なのは、これが主観的な指標であるという点です。同じ収入や生活環境にあっても、人によって感じ方は異なり、その違いが政治意識や行動に影響を与えるという考え方が、この研究の前提になっています。
教授たちは、ウェルビーイングを個人の内面の問題に閉じたものとしては扱っていません。むしろ、社会構造や政治のあり方と深く結びついた概念として位置づけています。将来への不安が強い社会、努力しても報われないと感じやすい社会、声を上げても政治に届かないと感じる社会では、人々のウェルビーイングは低下しやすくなります。そして、その低下が積み重なることで、既存の政治や制度への不信感が強まり、「今の仕組みを壊してくれそうだ」「強い言葉で代弁してくれる」と感じられる政治勢力に支持が集まりやすくなる構図が浮かび上がります。
この意味で、ウェルビーイングは単なる幸福政策や福祉政策の一分野にとどまる概念ではありません。民主主義の安定性そのものに関わる、きわめて政治的な概念です。人々が「この社会で生きていける」「自分の声には意味がある」「明日は今日より少し良くなるかもしれない」と感じられる状態が保たれてこそ、冷静な政治参加や熟議が可能になるという問題意識が、今回の調査全体を貫いています。
研究チームは、経済成長率や物価、失業率といった従来型の指標だけでは、社会の危機の兆しを見落とす恐れがあるとも示唆しています。ウェルビーイングの低下は目に見えにくいかたちで進行し、気づいたときには政治不信や分断、ポピュリズムの拡大として表面化することがあるからです。
今回の研究は、ウェルビーイングを「新しい流行語」として扱うものではありません。民主主義を支える土台として、政治が正面から向き合うべき社会の質そのものを示す概念であり、選挙結果を読み解くための重要なレンズであることを、私たちにあらためて教えてくれています。

【追記】「ウェルビーイング」と民主主義の危機(公明新聞のインタビュー記事)
こうした千葉大学の研究と重なる問題意識を、公明新聞(2026年1月10日付)も詳しく伝えています。同紙では、小林正弥教授へのインタビューを通じて、ウェルビーイング低下とポピュリズムの関係、そして日本社会が直面する民主主義の危機について掘り下げています。
小林教授は、ウェルビーイングとは「人間の幸不幸を科学的に測定する研究分野」であり、刹那的な快楽から持続的で質の高い幸福までを含む概念だと説明しています。かつては学問にならないと考えられていた幸福も、現在では科学的に設計された質問票によって測定可能となり、実証研究として発展してきました。
また、米国ペンシルベニア大学の研究グループによる分析では、トランプ大統領(第1次政権)の当選要因として、社会的・経済的条件以上に、地域ごとのウェルビーイング低下が影響していたことが明らかになったと紹介されています。今回の日本での調査も、そうした国際的研究潮流の中に位置づけられるものです。
小林教授は、ポピュリズムの特徴として、反知性主義、反エリート主義を挙げ、人々の怒りや不安といった「不幸の心理」に訴える政治が広がる危険性を強く指摘しています。既存の政党や政治だけでなく、議会制民主主義や大学、新聞、テレビといったメディアまで攻撃対象となり、スケープゴートを生みやすい構造への懸念も示されています。
さらに、古代ギリシャの哲学者プラトンが指摘した「衆愚政」の危険にも触れ、民主主義が理性を失った先に、経済破綻や戦争が待っていることを人類の歴史は繰り返し示してきたと警鐘を鳴らしています。
こうした文脈の中で、公明新聞の記事は「倫理的な中道政党」という視点を提示しています。左右の極端なポピュリズムが台頭する時代だからこそ、倫理的価値観と哲学を備え、国民のウェルビーイングを高める政治が求められているという指摘です。
ポピュリズムの台頭を単なる脅威として片付けるのではなく、その背景にある人々の暮らしの実感や不安に、政治がどう向き合うのか。今回の千葉大学の研究と公明新聞の報道は、「民主主義の質をどう守り、どう高めていくのか」という、いま日本社会が避けて通れない問いを、私たちに突きつけているのだと思います。
