2026年の政治状況を眺めながら、私はいま、ひとつの大きな危うさについて考えています。それは、高市首相が繰り返し語る「国論を二分する政策に挑戦する」という言葉の背後にある、二分法(ダイコトミー)による政治手法です。

作家であり元外務省主任分析官の佐藤優氏は、琉球新報の評論「ウチナー評論」No.939の中で、この点を鋭く指摘しています。佐藤氏は、現時点で日本社会に「国論を二分する問題」が自然発生的に存在しているわけではなく、むしろ政治の側が「これから二分する構図をつくっていく」のではないかと論じます。そして、その二分法は、政権が勝てるように設計された「分節化」であるといいます。
たとえば「スパイ防止法」をめぐる議論を想像してみましょう。「スパイを断固取り締まるべきだ」という立場と、「そこまでは必要ない」という立場。このように設定されれば、多くの人は「悪いスパイは取り締まるべきだ」と直感的に考えます。
また「日本国旗損壊罪」についても、「外国の旗は守られているのに日本国旗は守られなくてよいのか」という問いに置き換えられれば、反対しづらい空気が生まれます。問いの立て方そのものが、あらかじめ答えを方向づけているのです。
こうして国民の意思を問うたびに、多数派の支持を積み重ねる構図が出来上がる。結果として、権力基盤は強化されていく。第51回衆議院議員総選挙を経て、高市政権は一定の信任を得た形となりましたが、その後の政治が単なる政策遂行にとどまらず、「対立構造を意図的に設計する政治」へと変質しているとすれば、私たちはその構図を冷静に見つめる必要があります。
カール・シュミット「政治的なものの概念とは、究極的には“友(味方)”と“敵”を峻別すること」
歴史を振り返れば、二分法による政治の危うさは繰り返し示されてきました。
政治において二分法を最も先鋭的に理論化したのは、20世紀ドイツの法学者カール・シュミットです。彼は「政治的なものの概念」とは、究極的には「友(味方)」と「敵」を峻別することにあると定義しました。この理論の恐ろしい点は、集団の中に共通の「敵」を設定することで、内部の多様な意見を抑え込み、強固な団結(白紙委任)を引き出してしまうことにあります。
かつてワイマール共和国が崩壊し、ナチスが台頭した際も、この手法が徹底的に利用されました。「ドイツ国民」か「それ以外か」という極端な二分法は、複雑な社会問題を単純化し、冷静な議論を「敵への加担」として封殺しました。このように、問いの立て方そのものを「政権にとって都合の良い二択」に絞り込む手法は、権力を急速に集中させるための歴史的な常套手段なのです。
冷戦下のアメリカで起きたマッカーシズム
また、冷戦下のアメリカで起きたマッカーシズム(レッドパージ・赤狩り)も、「反共か容共か」という二択の中で多くの市民が沈黙を強いられました。「悪いスパイを取り締まるのは当然だ」という正論が、自由な議論を封じる道具に転じたのです。正義の言葉は、ときに最も強力な抑圧の装置になり得るという事実を、歴史は教えています。
「国体」か「危険思想」かという巨大な壁
第二次大戦前の日本の歴史を振り返ってみても、二分法による国論の誘導が顕著でした。
当時、最も強力に機能した二分法は、「国体(こくたい)」を守る側か、それとも国家を脅かす「危険思想」の持ち主か、という線引きでした。国体とは、天皇を中心とした日本独自の国のかたちのことですが、権力者はこれを「日本人の美徳そのもの」として絶対化しました。
これに対して、自由主義、個人主義、あるいは社会主義といった外来の考え方は、すべてまとめて「国を壊す恐ろしい考え」というラベルを貼られました。この二択を突きつけられると、国民は「自分は日本人として正しい側にいたい」という心理から、自ら進んで自由な発言を控え、政権の進める方向へ同調せざるを得なくなりました。問いの立て方そのものが、「正しい日本人でありたいなら、この道しかない」という形で作られていたのです。
「愛国」か「非国民」かという恐怖の二択
さらに日常生活のレベルまでこの二分法を浸透させたのが、「非国民(ひこくみん)」という言葉の誕生です。戦時下のスローガンとして有名な「贅沢は敵だ」という言葉も、単なる節約の勧めではなく、背後に「質素に耐えて協力する愛国者」か「自分勝手な贅沢をする裏切り者(非国民)」か、という残酷な二分法を隠し持っていました。
この枠組みが作られると、権力者が直接手を下さなくても、国民同士が互いを監視し合うようになります。隣の家の生活が少しでも豊かに見えれば「非国民ではないか」と疑いの目を向ける。こうして社会が「味方」と「敵」に真っ二つに分断されることで、国策に疑問を呈するような冷静な議論は、すべて「敵側の行為」として排除されていきました。
「精神の東洋」か「物質の西洋」かという正義のすり替え
戦争を正当化するために使われたもう一つの大きな二分法が、東洋と西洋を対立させる枠組みでした。「清らかな精神性を持つ東洋」と「欲深くて物質主義的な西洋」という二択を作り出し、この戦争を「邪悪な西洋の支配からアジアを救うための聖なる戦い」であると定義し直したのです。
実際には複雑な国際政治の対立があったはずですが、この「善と悪」のような二分法に置き換えることで、国民の多くは「自分たちは正義のために戦っているのだ」という強い確信を持つに至りました。佐藤氏が分析した「スパイ防止法」の例と同様に、誰もが反対しにくい「正義の側」に政権の目的を配置することで、多数派の熱狂的な支持を取り付けることに成功したのです。
1930年代から40年代にかけて、「国体か危険思想か」「愛国者か非国民か」という二分法が社会を覆いました。贅沢は敵だという標語の裏には、「従う者」と「裏切り者」という冷酷な線引きがありました。東洋の精神か西洋の物質主義かという対立構図のもとで、戦争は「正義の戦い」として語られ、多くの異論は封じられていきました。
二分法は強力です。世界を単純化し、感情を動員し、迅速な決断を可能にします。しかし同時に、それは「中間地帯」を消し去ります。本来、民主主義とは異なる立場の間に橋を架け、妥協点を探る営みです。ところが、二分法の政治では妥協は裏切りとみなされ、議論の余地は狭まります。その結果、社会は常に緊張状態に置かれ、人々は静かに疲弊していきます。
とりわけ、人口の少ない地域やマイノリティーにとっては、この構図は厳しい現実をもたらします。多数決の枠組みに押し込まれれば、声はかき消されがちです。沖縄の基地問題のように、地域固有の事情が全国的な二分法に吸収されてしまうと、少数派の論理は届きにくくなります。歴史は「多数派が常に正しいとは限らない」という教訓もまた示してきました。
二分法(ダイコトミー)を乗り越える、小さな声に耳を傾ける政治
それでも、万物は流転します。二分法の政治が続けば、社会はやがて疲れ、対立のコストが顕在化します。そのとき、人々は再び対話と包摂の価値を求め始めるでしょう。重要なのは、その転換のときを見据え、足元の基礎体力を養うことです。地域の文化、草の根の助け合い、経済や教育の現場での地道な努力。それらが社会のしなやかさを支えます。
いま私たちに問われているのは、「どちらが正しいか」という単純な二択ではなく、「問いの立て方そのものは妥当か」という視点ではないでしょうか。政治があえて国論を二分しようとするとき、その構図の外側にある声に耳を澄ませること。そこにこそ、成熟した民主主義の力が宿るのだと、私は信じています。
