秋の国会が始まる少し前、国政をめぐるひとつのニュースが流れました。
10月15日、自民党が参議院で「NHKから国民を守る党(N党)」の唯一の国会議員、斉藤健一郎氏を会派に迎え入れた――というものでした。形式上は「無所属議員の参加」とされていますが、実態は自民党とN党の統一会派と呼んでも差し支えない政治上の提携です。
しかし、そのニュースからわずか数週間後、思いもよらぬ報せが届きます。
N党の立花孝志党首が、名誉毀損の疑いで逮捕されたのです。自殺した元兵庫県議に対し、虚偽の内容を街頭演説やSNSで拡散したとして、刑事事件として立件されました。名誉毀損の容疑での逮捕は、異例の事態です。
「言葉の暴力」が、ついに司法の場で裁かれることになった――このニュースは、政治と倫理の関係を改めて突きつけるものでした。
「国会運営のためなら誰とでも組む」――高市自民党の体質が露わに
この出来事の本質は、立花氏個人の発言問題にだけとどまるものではありません。
むしろ、そのような人物を党首とする政党を、与党・自民党が受け入れたという判断こそが問われるべきです。
立花氏は、政治の世界に登場して以来、挑発的な発言で注目を集めてきました。
ときに敵対政党を罵倒し、メディアや公職者を攻撃する――その言動は、これまで幾度も社会の分断を煽ってきました。
そうした行為を「ネット時代の政治手法」として看過してきたことが、結果として今回の逮捕へとつながったのではないでしょうか。
それにもかかわらず、自民党は参議院での議席数を増やすために、あえてN党を“事実上の仲間”として迎え入れました。
理念よりも数、誠実さよりも計算、信頼よりも打算――。
長期政権の慢心が、ここに露わになったように思えてなりません。
政治の品格を失わせる「無原則な連携」
今回の統一会派は、「ただの手続き上のこと」として片付けられるものではありません。
議席の安定化という名目で、政治的理念も倫理観も共有しない政党を取り込むという行為そのものが、政治の信頼を損なうものだからです。
誹謗中傷や虚偽発言を繰り返してきた人物を率いる政党と手を組み、果たして国民の信頼を得られるでしょうか。
むしろ自民党は、政治的安定のために“品格”を切り売りしてしまったように見えます。
近年、自民党は派閥の崩壊、裏金問題、支持率の低下といった逆風にさらされています。
「とにかく議席を確保しなければ」という焦りが、今回の判断を生んだのかもしれません。
けれど、その焦りこそが、国民の心をさらに遠ざけているのです。
SNS時代に問われる政治家の倫理
立花党首の逮捕は、SNSを通じた誹謗中傷や虚偽情報の拡散という現代的な課題を浮き彫りにしました。
政治家の言葉は一つひとつが社会に影響を与えます。
「真実であるかどうか」よりも「注目を集められるかどうか」が重視される風潮の中で、政治家がその責任を忘れたとき、言葉は簡単に人を傷つけ、命すら奪うことがあります。
本来であれば、そうした風潮を正すべき与党・自民党が、まさにそのような人物と手を結んだ――。
この事実こそ、日本の政治が抱えるモラルの崩壊を象徴しているように思えます。
「信頼される政治」を取り戻すために
政治とは、本来、理念を共有する者たちが国の未来を議論し、責任をもって行動する営みです。
それを「数合わせ」の道具にしてしまえば、もはや政治ではなく、単なる権力維持の仕組みになってしまう。
この単純な真理を、私たちは今こそ思い出すべきです。
国民が求めているのは「数」ではありません。
誠実さ、説明責任、そして信頼に足る政治姿勢――その一点です。
与党・自民党は、長年の政権運営の中で、その原点をどこかに置き忘れてしまったのではないでしょうか。
今回の会派結成と党首逮捕という二つの出来事は、「政権のためなら何でもあり」という危険な政治風土を映し出す鏡です。
その意味で、これは一つの警鐘であり、政治の未来を考える契機でもあります。
N党を受け入れた自民党の判断は、国民から見れば「節操を失った行為」と言わざるを得ません。
そして、その直後にN党の党首が逮捕されるという皮肉な現実は、「倫理なき結託」がいかに脆いかを物語っています。
今、私たちに必要なのは、派手なパフォーマンスでも、数の論理でもありません。
一人ひとりの政治家が、言葉の責任を自覚し、信頼を積み重ねること。
政治に“信頼”を取り戻す唯一の道は、そこにしかないのです。

11月9日、政治団体「NHKから国民を守る党(N党)」の党首、立花孝志氏(58)が逮捕されました。
兵庫県警によると、立花氏は街頭演説やSNSで、自殺した元兵庫県議会議員・竹内英明氏の名誉を傷つけた疑いがもたれています。
事件の発端は、竹内英明元議員(当時・兵庫県議)の死去をめぐる発言でした。
竹内氏は、兵庫県の斎藤知事に対するパワハラ疑惑を調査する百条委員会の委員を務めていた人物です。
立花氏は2023年12月、街頭演説で「警察の取り調べを受けているのは多分間違いない」と発言。
さらに竹内氏が亡くなった翌日の2024年1月にはSNSで、「県警から任意の取り調べを受けていた」「明日逮捕される予定だった」など、事実無根の内容を投稿しました。
兵庫県警はこれらの情報を全面的に否定し、「取り調べも、逮捕予定も一切なかった。発言は事実無根だ」と説明しています。
虚偽の情報は瞬く間に拡散し、竹内氏の名誉と遺族の心を深く傷つける結果となりました。
竹内氏の妻は、6月に刑事告訴を行い、警察が本格的な捜査を進めてきた経緯があります。
立花氏は今年8月の記者会見で、告訴についてこう述べていました。
「亡くなられた元県議のご冥福をお祈りします。そのうえで、訴えていただいたことには感謝している。これで白黒がはっきりする。逃げも隠れもしません」
この発言には、一見すると堂々とした姿勢がうかがえますが、問題の本質は「発言の自由」と「言葉の責任」の境界にあります。
政治家が、憶測や虚偽を含む発言を公の場で繰り返すとき、それはもはや“自由”ではなく“暴力”になりかねません。
SNSや動画配信の影響力が大きい現代において、発信者の責任はこれまで以上に重く問われる時代に入りました。
名誉毀損罪は刑法230条に明記されています。
「公然と事実を摘示し、人の名誉を毀損した者は、三年以下の懲役または禁錮、もしくは五十万円以下の罰金」。つまり、事実に反する内容を多くの人に広め、相手の社会的評価を傷つけたときに成立します。
しかし、これまで多くのケースでは、逮捕まで至ることはほとんどありませんでした。
たとえ誹謗中傷や虚偽情報があっても、民事訴訟で損害賠償を求めるにとどまり、刑事事件化されることはごく限られてきたのです。
なぜなら、名誉毀損の取り締まりは「表現の自由」とのせめぎ合いにあるからです。
民主主義の社会では、政治批判や社会問題の発言を萎縮させないため、警察も検察も慎重に動いてきました。
それでも今回は、その壁を越えました。なぜ、立花党首は逮捕に至ったのか――。
事件は、兵庫県議会の元議員・竹内英明氏の死をめぐる発言が発端でした。
竹内氏は、県知事のパワハラ疑惑を調査する百条委員会の委員を務めていた人物。しかし、立花氏は街頭で「警察の取り調べを受けているのは間違いない」と発言し、さらに、亡くなった直後に「明日逮捕される予定だった」などとSNSに投稿しました。
兵庫県警はこれを真っ向から否定し、「取り調べも逮捕予定も事実無根」と公に発表。発言が完全な虚偽であったことが明らかになりました。
問題は、その影響力です。立花氏は一政党の代表であり、YouTubeやSNSで数十万人に向けて発信できる立場にあります。その立場で、亡くなった人に対して虚偽の情報を拡散した――。これはもはや「言論の自由」の範囲を超えたと判断されたのです。
法律の運用面から見れば、今回の逮捕は異例です。
名誉毀損罪は原則として「親告罪」――つまり、被害者が訴え出なければ捜査できない仕組みです。
しかも、捜査が始まっても、通常は書類送検にとどまり、逮捕されることはまずありません。
逮捕に踏み切るのは、虚偽が明白であること、社会的影響が大きいこと、遺族や関係者に深刻な被害を与えたこと、――これらの条件がすべてそろった場合に限られます。
まさに、立花氏のケースはその「例外中の例外」だったのです。
政治家という公的立場での発言が、法の枠を越え、刑事事件となった。
これは、単なる個人の問題ではなく、時代の象徴的な出来事といえるでしょう。
