――被爆国日本に必要な「歯止め」と公明党の視点
唯一の戦争被爆国である日本が、半世紀以上にわたって堅持してきた非核三原則――「持たず、作らず、持ち込ませず」。
この原則は、単なる理想論やスローガンではありません。1971年、衆議院の決議によって「国是」と位置づけられ、歴代内閣を拘束してきた、極めて重い政治的原則です。
しかし近年、東アジアの安全保障環境が厳しさを増すなかで、非核三原則、とりわけ「持ち込ませず」を「議論すべきだ」「抑止力の面で邪魔になる」と捉え、見直しを求める声が公然と上がるようになりました。
高市早苗首相周辺からも、拡大抑止を安全保障の基軸に据える立場から、安保三文書との整合性を理由に、非核三原則の扱いを再検討すべきだとする考え方が示されています。
しかし、ここであらためて確認しておく必要があります。
非核三原則は、内閣の一政策ではありません。国会決議によって確立された「国是」であり、内閣が主導して軽々しく見直しを議論することが本当にふさわしいのかという問題です。
安全保障の議論が緊張感を帯びる今だからこそ、拙速な判断を戒め、国会を中心に熟議を尽くす――この「歯止め」の役割こそ、被爆国日本にとって不可欠であり、公明党が果たしてきた重要な役割でもあります。

非核三原則の現実的意義をどう考えるか――秋山信将教授の指摘から
政府主催の国際賢人会議のメンバーである、一橋大学国際・公共政策大学院の秋山信将教授は、非核三原則について次のように指摘しています。(2025/12/13付け公明新聞より)
戦後日本が核軍縮を推進し、「核兵器のない世界」をめざす姿勢を示す上で、核兵器を自ら保有・製造しないこと、そして米国との関係においても「持ち込ませない」と明確にうたい、核兵器と一定の距離を置いてきたことは、極めて重要な意味を持ってきた。
冷戦後、周辺国の核の脅威が強まる中で、米国の拡大核抑止の重要性が強調されるようになってからも、非核三原則を維持してきたこと自体が、日本の理想追求の姿勢を示す重要な政策であり、今後もその重要性は変わらない――秋山教授は、そう明言しています。
政策は固定不変のものではなく、状況に応じて見直される余地はあります。しかし、その前提を踏まえたうえで教授は、「今、本当に非核三原則を変える必要があるのかと問われれば、その必要はない」と明確に述べています。
この冷静な指摘は、感情や危機感だけで安全保障を語ることの危うさを示しているように思います。
「見直し論」の動機と、その危うさ
秋山教授は、非核三原則を見直したいと考える人たちの動機を、大きく二つに整理しています。
一つは、中国に対して毅然とした姿勢を示すため、必要があれば米国の核を日本に持ち込めるようにすることで、示威的な効果を狙う考え方です。
もう一つは、中国が通常戦力・核戦力の両面で優勢にあるなかで、戦術核の存在が抑止に必要だとし、米国の核兵器を搭載した原子力潜水艦の寄港において、「持ち込ませず」原則が障害になるという議論です。
しかし教授は、いずれについても「本当にその必要があるのか、よく計算すべきだ」と指摘します。
非核三原則を変えることは、日本が自ら核をめぐるエスカレーションのシグナルを送ることにほかなりません。現状において、それによって得られるメリットがどれほどあるのかは疑問であり、むしろ周辺国の反発や緊張の高まりを招く可能性の方が大きい、という見方です。
ここにこそ、公明党が重視してきた「現実的で抑制的な安全保障」の視点があります。
脅威を直視しつつも、事態を悪化させないための歯止めをどこに置くのか。その視点を欠いた安全保障論は、国民の安心につながりません。
国会決議という「国是」を、内閣主導で扱ってよいのか
非核三原則は、単なる政府方針ではなく、国会決議によって確立された国是です。
だからこそ、その扱いは本来、国会で正面から議論されるべき問題であり、内閣が安全保障文書の整理や政策判断の延長線上で主導的に「整理」「削除」を論じることには、強い違和感があります。
仮に見直しが必要だという主張を行うのであれば、それは国会において、国民に対して十分な説明責任を果たしながら議論されなければなりません。
この「チェック・アンド・バランス」を機能させることは、公明党が連立政権の中で一貫して担ってきた役割であり、政権離脱後もその役割はまったく変わっていません。
安全保障の名のもとに、国是が内閣の判断だけで揺らぐことがあってはならない――この姿勢こそ、民主主義の健全さを守る上で欠かせないものです。
三原則をどう生かすのか、という本来の議論へ
秋山教授が強調しているのは、「三原則を守るか、捨てるか」という二者択一ではありません。
重要なのは、どのような政策の組み合わせであれば国民が安心でき、安全保障環境の改善や軍拡の抑制に貢献できるのか、という現実的な議論です。
三原則それ自体が、核兵器削減の万能薬ではありません。しかし、日本の姿勢を国際社会に示し、対話や信頼構築の土台として機能してきたことは確かです。
これを軽々しく手放せば、中国や北朝鮮の反発を招き、日米韓とそれ以外の国々との間で分断が深まることは避けられないでしょう。
公明党が訴えてきたのは、まさにこの「歯止め」と「対話」の重要性でした。
被爆国として、今こそ果たすべき責務
核軍縮をめぐる国際的なモメンタムが失われつつある今、「核軍縮は時代遅れだ」という空気も広がっています。
それでもなお、日本は普遍的な価値を掲げ続けなければなりません。
「ヒロシマ」「ナガサキ」は、外交の道具ではなく、人類が共有すべき歴史の遺産です。被爆者の平均年齢が86歳を超えた今だからこそ、被爆の実相を次世代に伝えていく責任があります。
日本が掲げてきた「核保有国と非保有国の橋渡し役」という役割も、非核三原則という重い国是に支えられてきました。
非核三原則は決して「邪魔者」ではありません。
それは、被爆国日本が自らに課してきた安全保障上の「歯止め」であり、平和と現実的な安全保障を両立させようとする知恵の結晶です。
だからこそ、この国是を内閣主導で軽々しく扱うことがあってはならない。
いま求められているのは、原則を手放すことではなく、原則を生かしながら、国民の命と暮らしを守るための成熟した安全保障論を積み重ねていくこと――その道を示すことこそ、公明党に期待されている役割ではないでしょうか。
