12月23日、日本の政治と福祉のあり方に、静かですが確かな転機が訪れました。
公明党、立憲民主党の地方議員有志によって、「ベーシック・サービス推進地方議員連盟」が正式に発足しました。阿久津広王さん、大沢純一さん、原田竜馬さん、柳田あゆさんらを発起人として、北は北海道から南は九州・大分まで、55名もの地方議員が超党派で集いました。
ベーシックサービスの提唱者・慶応大学の井手英策教授は、SNSに次のよう言葉を載せました。
このニュースに接したとき、私は正直、言葉を失いました。2017年以降、政治の主流とは距離を置きながらも、「ベーシック・サービス」という考え方の重要性を、ほとんど孤独なかたちで訴え続けてきたからです。共感はあっても、表立った動きになることは少なく、「まだ時代が追いついていないのだろう」と感じる場面も多くありました。だからこそ、これほど多くの地方議員が、しかも超党派で同じ旗のもとに集まったことは、まさに青天の霹靂であり、震えるほどの感動を覚える出来事でした。
この議員連盟が掲げている「ベーシック・サービス」という理念は、井手教授が、長年にわたって研究と実証を重ね、社会に問い続けてきた考え方です。
井手教授は、日本の福祉が抱える最大の問題を、「弱者を助ける仕組み」に偏りすぎている点に見出してきました。
これまでの日本の福祉は、生活保護に代表されるように、困窮した人を特定し、救済する「選別的福祉」が中心でした。しかしその仕組みは、支援を受ける人に「申し訳なさ」や「後ろめたさ」を生みやすく、「助ける側」と「助けられる側」という分断を社会に固定化してしまいます。善意であっても、そこには見えない上下関係が生まれてしまうのです。

井手教授が提唱するベーシック・サービスは、この構造そのものを転換しようとするものです。医療、介護、教育、保育、子育て、障がい者福祉といった、人が社会で生きていくうえで不可欠な基本的サービスを、所得制限を設けず、すべての人に「権利」として無償で保障する。誰が貧しいかを線引きするのではなく、「誰にとっても必要なものは何か」から制度を組み立てる点に、この構想の核心があります。
理論的な土台には、「肉体的な自律」と「精神的な自律」を社会としてどう支えるか、という視点があります。病気や障がい、加齢があっても尊厳を保てる医療や介護、障がい者福祉。生まれ育った家庭環境に左右されず、学びを通じて人生の選択肢を広げられる教育。そして、品位ある生活を可能にする生活基盤。こうしたサービスをあらかじめ社会全体で保障しておくことで、「弱者を救う社会」から、「弱者を生まない社会」へと転換できる、というのが井手教授の一貫した主張です。
この考え方は、必然的に財源論、とりわけ税による負担の分かち合いを伴います。とりわけ消費税を含む議論は、これまで多くの批判を招いてきました。しかし井手教授は、将来世代にツケを回さず、必要なサービスを持続可能な形で維持するためには、民主主義のプロセスを通じて負担を引き受け合うしかないと指摘してきました。給付金を配るだけの一時しのぎではなく、安心の土台そのものを社会として整えることが重要だ、という考え方です。
今回発足した地方議員連盟には、その「険しい道」を承知のうえで、一歩を踏み出そうとする議員の皆さんが集まっています。地方自治体の現場で、住民の不安や分断を日々目の当たりにしているからこそ、ベーシック・サービスの必要性が、理念ではなく現実の課題として共有されたのだと感じます。
福祉は、もともと地方自治の根幹です。何が本当に必要なサービスなのか、そのためにどのような負担を分かち合うのか。住民に最も近い「地方」だからこそ、具体的で切実な議論が可能になります。今回の議連発足は、ベーシック・サービスという構想が、研究室の中の理論から、地方政治の現場へと本格的に橋渡しされる瞬間だと言えるでしょう。
このブログでは、この議連が掲げる「ベーシック・サービス」の本質と、なぜそれを「地方」から推進していく必要があるのかについて、改めて整理しておきたいと思います。

ベーシックサービスの3つのポイント
井手教授が提唱するベーシックサービスとは、医療、介護、教育、保育、子育て、障がい者福祉といった、人間が社会で生きていく上で不可欠な「基本的サービス」を、所得制限を設けず、すべての国民に権利として無償提供するという考え方です。
その詳細な定義と特徴は、以下の3つのポイントに集約されます。
1. 「所得制限なし」の普遍的な給付
従来の日本の福祉(生活保護など)が、困窮した人を特定して助ける「選別的」な仕組みであったのに対し、ベーシックサービスは中間層を含めたすべての所得階層を受益者とします。所得によって利用者を区別しないことで、「助ける側」と「助けられる側」という社会の分断を防ぎ、誰もが堂々とサービスを利用できる「権利」の領域を最大化することを目指しています。
2. 「肉体的・精神的自律」を支えるサービスの無償化
「何がベーシックか」という基準については、ドイヨルとゴフの理論に基づき、「肉体的な自律」と「精神的な自律」を可能にするものと定義されています。具体的には以下のサービスが挙げられます。
• 肉体的自律: 医療、介護、障がい者福祉など。
• 精神的自律: 就学前教育(幼稚園・保育所)、大学までの教育など。
• 生活基盤: 住宅手当(品位ある命の保障)など。
3. 「弱者を救済する」から「弱者を生まない」社会へ
この構想の根本には、所得格差そのものよりも、格差によって「生存や生活に必要なサービスにアクセスできないこと」を問題視する視点があります。万人が必要とするサービスをあらかじめ無償化しておくことで、「弱者を助ける施策」から、そもそも誰もが弱者に転落せずに済む「弱者を生まない施策」への転換を理念としています。
また、この制度は「税(主に消費税の増税)による負担の分かち合い」をセットで議論することを不可欠としており、単なるバラマキではなく、民主主義を通じた共助の仕組みとして位置づけられています。
ベーシックサービスを地方議員が推進することの重要性
その上で、なぜ「地方からの推進」が重要なのかをまとめてみたと思います。
福祉は地方自治の根幹です。しかし現在の日本社会は、自己責任の重圧と将来不安から、困っている人への配慮や寛容さが失われつつある「分断社会」と化しています。
このような閉塞感を打破し、民主主義を再生させる場所こそが、住民に最も近い「地方」です。ベーシック・サービスを具体化するプロセスでは、「何がベーシックなニーズなのか」「そのためにどのような負担を分かち合うべきか」という切実な議論が不可欠になります。
自分たちの手で、自分たちの生活を守るための共同事業(財政)を議論し、納得して負担し合う。 この地方からの地道な歩みこそが、機能不全に陥った自己責任社会を乗り越え、人間らしい「分かち合い」の社会をつくる土台となると確信します。
