高額療養費制度の「負担増」をめぐる議論に注目しています。自維政権の動向に強い違和感を覚えます。制度の持続可能性や医療財政の厳しさが語られる一方で、そもそもこの制度が何のために存在してきたのか、その原点が置き去りにされているように感じるからです。
高額療養費制度は、病気やけがという誰にでも起こり得る不測の事態によって、家計や人生そのものが壊れてしまうことを防ぐための仕組みです。特に、がんや難病など長期にわたる治療が必要な方にとっては、まさに「最後の支え」と言っても過言ではありません。
今回、専門委員会でまとめられた見直し案では、多数回該当の上限額が据え置かれ、年間上限額の新設など、一定の配慮が盛り込まれた点は評価できます。患者団体の声や公明党などの野党の主張が反映された結果でもあり、その努力は率直に受け止めたいと思います。
それでもなお、私は「負担増」という方向性そのものには賛成できません。制度を利用する人の多くは、すでに経済的にも精神的にも限界に近い状況に置かれているからです。医療費の支払いは、単なる数字の問題ではありません。治療を続けるか、生活を守るか、あるいは治療を諦めるかという、極めて重い選択を迫るものです。年間上限額が設けられるとしても、その水準次第では「結局、苦しいことに変わりはない」という声が必ず出てきます。制度の細部を整えるだけでは、現場の切実さは救いきれないのではないでしょうか。

とりわけ懸念されるのが、高齢者への影響です。70歳以上の外来特例の見直しや、窓口負担割合引き上げの議論が同時に進んでいます。これらが重なれば、年金収入で暮らす高齢者にとっては、日常的な受診すらためらう状況が生まれかねません。受診抑制が進み、結果として症状が悪化し、より高額な医療が必要になる。これは医療費抑制どころか、社会全体にとってマイナスになり得る流れだと思います。
もちろん、医療財政が厳しいことは事実です。超高額薬剤の保険適用が増え、制度の持続性をどう確保するかという議論は避けて通れません。しかし、そのしわ寄せを「今、治療を受けている人」「これから治療が必要になるかもしれない人」に集中させてよいのでしょうか。高額療養費制度は、国民皆保険の中核であり、「安心して医療にかかれる社会」を支える基盤です。ここを弱体化させることは、日本社会の安心そのものを揺るがすことにつながります。

効率化の名で、治療の継続を危うくしないために――維新の主張を検証する
ここで論点として外せないのが、日本維新の会の主張です。維新は、医療・社会保障制度全体の効率化と、現役世代の負担軽減を掲げる政策姿勢の一部として、高額療養費制度の見直しを強く主張していると言われます。維新の立場を整理すると、「小さな政府」「現役世代の経済的負担軽減」「応能負担の徹底」といった理念に基づき、社会保険制度の抜本改革を進めるべきだという考え方が軸にあります。国民医療費の伸びが社会保険料の増加につながり、特に現役世代に重くのしかかっているのだから、「社会保険料を下げ、現役世代の所得を増やす」ために、給付と負担の見直しは不可避だ、という問題意識です。そこから、所得に応じた負担区分の見直し、医療利用の「適正化」、特例の再検討といった方向が示されます。
ただし、この主張には見過ごせない反論があります。第一に、高額療養費制度は「医療を受ける権利」を現実に支えている安全網だという点です。上限額の引き上げや特例の縮減は、長期治療を受けざるを得ない患者さんや、低所得の高齢者にとって、家計を直撃する負担増になります。制度があるから治療を継続できる人がいるという現実を踏まえれば、負担増は受診抑制や治療中断を招きかねません。これは個人の問題にとどまらず、地域医療の疲弊や重症化による医療費増につながる恐れがあります。
第二に、「適正化」という言葉の難しさです。医療の現場では、受診が多い人ほど“好きで通っている”わけではなく、必要に迫られて通っていることが少なくありません。慢性疾患、合併症、治療後のフォローアップ、薬の調整。そうした現実を無視して「利用を減らせばよい」と言うだけでは、医療の質や人の健康を損ねます。制度をいじる前に、重症化予防や地域包括ケア、かかりつけ医機能の強化、薬剤費の適正化といった、別の打ち手を徹底する余地が本来あるはずです。
第三に、公平性の議論です。現役世代の負担が重いという問題意識は理解できますが、それを理由に「病気の人」「高齢者」「低所得者」に負担を寄せてしまえば、社会の連帯そのものが弱ります。支え合いの制度は、元気なときには“自分のため”に見えにくいのですが、いざ病気になったとき、家族が治療を必要としたときに初めて、そのありがたみが身に染みるものです。制度は“誰かのため”ではなく、“いずれ自分のため”でもあります。
だからこそ、私が訴えたいのは、負担増ありきの見直しではなく、制度の理念に立ち返った丁寧な議論です。誰もが病気になる可能性があり、誰もが制度の利用者になり得る。その前提に立ち、急激な負担増を避け、納得と共感を得られる形で改革を進めるべきです。高額療養費制度は「最後に削るべき制度」ではなく、「最後まで守るべき制度」です。そのことを、いま一度、社会全体で共有したいと思います。

