4月15日、井手よしひろ県議は神栖市内で開かれた地域防災セミナーに招かれ、茨城県地域防災計画の見直しの概要などについて講演しました。このセミナーには、来賓として保立一男市長を始め、副市長や防災関係部門の部課長、各行政区の区長、消防団関係者、一般市民など150名余りが集いました。
昨年3月11日、2つの大地震(三陸沖を震源とするマグニチュード9.0の地震、茨城県沖を震源とするマグニチュード7.7の地震)と、地震により引き起こされた大津波は、神栖市に甚大な被害をもたらしました。最大震度は6弱を記録し、津波による浸水被害に加え、揺れが続いたことによる液状化現象が市内各地域で発生しました。
その被害は大きく、市内の多くの道路が激しく損壊して通行が妨げられ、浄水場や水道及び下水道も著しく破損し、断水などによりライフライン機能が長期間にわたり停止(地域によっては約3ヶ月間)しました。
また、鹿島港や波崎漁港においては、岸壁や埠頭等に変形や陥没、損壊等の大きな被害を受け、港湾機能がしばらくの間活動停止の状態に陥りました。津波により船舶が座礁、転覆し、鹿島港周辺に広がる工業団地も被災しました。
市民生活においても、生活の基盤となる住宅や宅地に大きな被害が発生し、幸いにして死者はなかったものの、震災発生当時の避難者数は最多で8,615人に及びました。
神栖市は、鹿島灘と利根川に3方を囲まれた平坦な地形が特徴です。
大震災の当日、市内で唯一”高台”と呼べる標高23メートルの神栖済生会病院には、多くの市民が殺到しました。
この日の津波は、神栖市沿岸部約24キロにわたって押し寄せ、鹿島港から約1キロ離れた国道124号を越え、居切・奥野谷地区など市街地の約570ヘクタールが浸水しました。鹿島港で5.7メートル、波崎地区の海岸砂丘には8メートル以上の遡上痕が確認されました。
今、神栖市民は遠からずまた起こるであろう大地震と津波に備えて、防災意識が非常に高まっています。今年3月11日に実施された津波避難訓練には1万6000人もの市民が参加しました。
この避難訓練の他、神栖市では津波対策を具体化させています。
一刻も早く津波情報を入手するために、鹿島港と波崎RDFセンターに「津波監視カメラ」を設置します。監視映像は、インターネットで配信される予定です。
ホテルや病院など高層ビル11施設と災害協定を締結して避難所を確保し、海抜表示や避難経路を示す案内板を市内各地に掲示しました。
津波ハザードマップも県の津波想定の見直しを踏まえて、筑波大学の協力を得た独自のシミュレーションを行い、地域防災計画の見直しを図ることにしています。
また、防災公園や避難タワー、砂丘等の整備も今後具体化させる予定です。
井手県議は、こうした行政の取り組みの上に、市民自らが自分たちの命を守る『自助』やお互い助け合う『共助』の重要性を強調しました。
(写真上:神栖市内で開催された地域防災セミナー、写真中:東日本大震災で液状化した新興住宅地、写真下:いち早く被災地を訪れ保立市長から被害状況を聴く公明党山口那津男代表)