今日(10月14日)、熊本地震の発生から半年を迎えました。
被災地では、最大18万人を超えた避難者数が213人となりました。仮設住宅も16市町村で98団地4052戸が完成し、生活の基盤となる住まいの確保が進みつつあります。
今月11日には、熊本地震の復旧・復興関連の事業費を盛り込んだ2016年度第2次補正予算が成立しました。新たに創設される県の復興基金も相まって、被災者目線に立ったきめ細かい支援が着実に前進することを期待します。
とはいえ、震度7の揺れに2度見舞われた益城町では、至る所で“あの日”のまま取り残された全・半壊の家屋が多く存在します。多くの被災者が、先行きの見えない不安な生活を余儀なくされていることに何ら変わりはありません。
こうした中、入居が進む仮設団地では、高齢者の体調悪化や孤立化、引きこもりが深刻化しています。一部の仮設団地で自治会が発足し始めていますが、住民同士のつながりが希薄な団地も少なくないようです。
マスコミの調査によれば、50人を超えた震災関連死のうち、約8割が70歳以上の高齢者です。東日本大震災では、今もなお関連死が後を絶ちません。悲劇を繰り返さないためにも、住民頼みではなく、国や県、市町村が前面に立って孤立化の防止に努めなくてはなりません。
発災から6カ月。いま最も重視しなければならないのは被災者の「心のケア」です。高齢者と共に、子どもたちへの対応は待ったなしです。
「夜眠れない」「落ち着きがない」といった、わが子の変化を危惧する親の声を聞かれます。県と熊本市の教育委員会が7月に行った調査によると、県内の小中高生と特別支援学校の児童生徒計17万7627人のうち、心のケアが必要とされたのは3054人を数えています。国や自治体をはじめボランティアの力も借りながら、速やかに手を打つ必要があります。
発災以来、井手よしひろ県議は、震災の現地に2度足を運びました。たとえ遠く離れた茨城県の地方議員でも、被災者の皆さまにお役に立つことは出来るはずです。もっとも被害が集中した益城町の仮設住宅の新たな情報と、現地で公明党町議として孤軍奮闘する吉村建文議員の手記を紹介します。
心と体の“凝り”ほぐす/仮設商店街
9月6日、熊本県内最大の仮設住宅・テクノ仮設団地内に、『益城テクノ笑店街7』がオープンしました。震度7を経験した7店舗で笑顔で頑張っていこう!という願いから『益城テクノ笑店街7』との名称がつけられました。八百屋さんの吉本商店、理容室のカットハウスライム、ミキのから揚げの吉山商店、益城プリンフの岡本商店、ラーメン屋さんの富貴製麺所、クレープ屋さんのサニーズ、そして整骨院の木山整骨院の7店舗です。
木山整骨院の院長・増永清人さんは、4月14日の前震直後、全壊した実家で生き埋めになった69歳の母を助け出すと、町総合体育館に避難。約20年にわたって共にした店舗も全壊していました。先行きの見えない避難所での暮らし。不安を拭い去るように、被災者へのマッサージなど、ボランティア活動に奔走しました。テクノ仮設に移り住んだ2カ月後、町商工会が募集した仮設商店街の入居にこぎつけました。すぐに親戚らの手を借りて全壊した店舗からベッドなどの機材を“新店舗”に搬入。喜びと不安が混ざった複雑な思いを胸に、「木山整骨院」の営業を再開。「皆の手助けのおかげで今がある」と増永さんは振り返えります。今では1日10人程度のお客さんが訪れ、治療や世間話をしながら被災者の心と体の“凝り”をほぐす毎日です。
「近所にいるペットの糞害や鳴き声が気になる」「仮設トイレのにおいをどうにかできないか」といった仮設住民からの声が、増永さんに寄せられます。増永さんは、町に相談内容を伝えて対策を求め、時には、住民の不安や鬱憤に、じっと耳を傾けることも。「笑店街が住民の心のよりどころになれれば」と語っています。
増永さんは今後、公明党の推進で創設された中小企業の再建を後押しする「グループ補助金」を活用し、笑店街にある7店舗の再起を夢見ています。県商工政策課によると、これまでにグループ補助金を使って復興をめざす県内の企業は約4000社にも及びます(9月末現在)。
また、この益城テクノ仮設住宅には、県の要請で大手流通チェーンの「イオン」が仮設店舗をオープンさせています。近くにスーパーや飲食店がなく、不便な生活を強いられていた住民たちに喜ばれています。 仮設店舗「イオン益城テクノ仮設団地店」は、プレハブ平屋約200平方メートルで食料品や日用品など約4千品目を扱います。店内の専用のタブレット端末からインテリアや家具なども注文できます。
仮設住宅での高齢者などの孤立化を防ぐには、こうした住民が集う施設の整備が重要です。交流の機会をいかに増やしていくかという努力を積み重ねていくべきです。
『声を書きとどめ奮い立つ』益城町・吉村建文町議会議員の手記
震災から半年がたち、町で最後の避難所となった総合体育館も今月いっぱいで、その役目を終えます。町民の皆さんは仮設住宅に移り住むなど、新たな生活をスタートさせています。
しかし、倒壊した家屋の解体などは十分に進んでおらず、「いつ元通りの生活に戻れるのか」という不安を多くの人が抱えています。
先日、仮設住宅でチャリティーコンサートが行われ、その橋渡しをさせてもらいました。このような活動が、新しい生活に歩みを進める住民の希望や力になればと思っています。
議員になり、1年足らずで直面した未曽有の震災。当初は、右も左も分からないまま無我夢中で奔走しました。緊急の課題に追われる中で「この地震の記録を残さないといけない」と感じ、町民の声や避難所の状況、自分の行動を毎日ノートに書きとどめました。「物資が足りない」「家が全壊している」……。一人一人の悲痛な声を読み返しながら、町民の力になりたいと自らを奮い立たせ続けてきました。
時がたつにつれ、熊本地震は過去のものだという風潮が強まっていると感じます。しかし、復興はまだ始まったばかり。やることはうなるほどあります。
10月の議会では、震災後初めての一般質問に立ち、多くの保護者から要望を受けた給食センターの復旧を訴えるなど、町民の声を代弁することができました。
これからも公明議員として、一つ一つの課題に全力で取り組み、復興を進めてまいります。