日立の代表的な伝統芸能「日立風流物」(ひたちふうりゅうもの)が7年ぶりに大公開されています。
日立風流物は、神峰神社の祭礼に奉納された大型の山車に操り人形を配したものです。江戸時代中期に始まり、文化文政の頃には山車そのものが「からくり」となり、風流物、笠鉾と呼ばれるようになりました。明治の初期には既に現在の形になっていました。日立風流物は1945年の戦災で焼失しましたが、58年に氏子たちの努力で復活し、1959年に国の重要民俗資料として文化庁の指定を受け、70年の大阪万博、85年のつくば万博、94年の京都遷都1200年祭などに参加し、全国的にも有名になっています。
現在、日立市には東町、北町、西町、本町の4台の風流物が現存し、神峰神社の大祭礼にあわせて、7年ぶりに4台全てが公開されています。公開初日の3日には、延べ7万人の見物客で賑わいました。
風流物の規模は、高さ15m、奥行7m、幅8m、奥行き7m、重さ5t。
日立風流物は大きな山を背した城郭の形をし、山車の一層には大手門を、最上段の五層には天守閣をそなえています。山車の正面を前館と呼び、五層の唐破風造りの館は中央より左右両側に割れ開く仕組になっています。また、三層以上五層までの各段はカグラサンによってせり上がった後に左右に割れて開くようになっています。これらの操作は全て綱によって行われ、館が大きな扇面の形の五段の雛壇となり、これが操り人形芝居の舞台となります。
前館での人形芝居が終わると舞台は廻り舞台となって、180度回転します。裏山において別の人形芝居が行われます。これらの芝居は無言劇で山車の中のお囃子に合わせて演じられます。
日立風流物の大公開は、宮田お祭り道路(大雄院通り)で行われています。この道路は、市民の要望が実り、電線地中化が完成し、迫力ある風流物の競演が堪能できます。
(日立風流物の説明は、日立風流物のHP、茨城新聞、常陽新聞などの記事を参考にさせていただきました)
参考:日立風流物の大公開のフォト・シネマを作成しました
宮田お祭り道路(大雄院通り):livedoor MAPにリンク
参考:日立風流物のホームページ(日立郷土芸能保存会本町支部)