2025年2月23日(日)、第3回「ひたち大煙突フェスティバル」が賑やかに開催されました。
日立市のシンボルの大煙突とサクラの歴史を語り継ごうと、大煙突とさくら100年プロジェクトは、共楽館(日立武道館:日立白銀町)と新町通りで「ひたち大煙突フェスティバル」を催しました。約3000人の来場者でにぎわい、歩行者天国では大煙突と日立駅の間を走っていた「鉱山電車」を手作りで再現したり、児童による絵本の読み聞かせをしたりして、郷土の歴史を伝えました。
大煙突は日立鉱山から出る煙害を防ぐため、1914年に建設されました。周辺には荒廃した自然環境を回復させるためオオシマザクラやソメイヨシノが1000万本以上植樹され、日立はさくらのまちとなりました。
共楽館内では鉱山電車の写真パネル、鉱山電車マップ、精巧な鉄道模型などが展示され、訪れた方々は懐かしく当時を振り返りました。大煙突とさくら100年プロジェクトが新たに発行した絵本「大煙突とさくらのまち」の市への贈呈式も行われました。鉱山の煙害を克服したまちの歴史を伝える内容で、仲町小学校の児童による読み聞かせも行われました。
ゲストステージでは、日立風流物西町子ども鳴り物、水戸葵社中による水戸黄門劇、和太鼓篠笛和奏(わかな)、名秀学園日立高校演劇ゼミとETCひたちによる「大煙突とさくらのまち」紙芝居劇などが上演され、大きな拍手が寄せられました。
当日、共楽館周辺の通りは歩行者天国となり、茶箱を使った手作りの鉱山電車も人力で運行されました。鉱山電車は2008年に開通し、鉱石や人を運ぶのに活躍しました。自動車の普及で1990年に廃線となりました。手作り電車は小さな子どもたちを乗せると、ボランティアらの手で引かれ来場者から温かい歓声が上がりました。
日立鉱山の盛期、この場所には給料日に露天市が開催され、会計市と呼ばれました。歩行者天国には令和シン会計市と銘打って、キッチンカーや露天が並び、往時を偲びました。