Skip to content
ひたみち日記

ひたみち日記

井手よしひろが茨城県日立市からローカルな情報を発信中

Primary Menu
  •  ホーム
  • ご挨拶
  • プロフィール
  • 投稿一覧
  • facebook
  • X.com
  • youtube
  • 地創研
  • ご感想・ご意見
動画配信
  • 平和・軍縮
  • 映画「ぼくは風船爆弾」

映画「ぼくは風船爆弾」―かつての風船爆弾基地・一宮町での上映に向けて

管理者 2025年9月27日
250926ichinomiya01

9月26日、映画「ある町の高い煙突」で知られる松村克弥監督が千葉県一宮町を訪れ、馬淵昌也町長と面会しました。松村監督は、最新作「ぼくは風船爆弾」を一宮町で上映する提案を行いました。

この作品は、戦後80年という節目に合わせて制作された、松村監督の「戦争・平和・命」をテーマとするシリーズの一つです。前作「祈り」が戦後75年記念事業として全国で上映されたことを思えば、今回の新作もまた、歴史を見つめ直すための大切な機会になることでしょう。

一宮町は、太平洋戦争末期、日本軍がアメリカ本土に向けて放った「風船爆弾」の打ち上げ地のひとつとして知られています。茨城県北茨城市や福島県いわき市と並び、この地にも戦争の記憶が深く刻まれています。松村監督は、こうした地域の歴史を掘り起こし、未来の世代に平和の尊さを伝える場にしたいと語りました。

馬淵町長は、風船爆弾の歴史をより多くの人に知ってもらうこと、そして平和への強いメッセージを発信することはとても重要だと述べました。そのうえで、教育委員会と連携しながら丁寧に検討したいとの考えを示しました。

特に印象的だったのは、町長の率直な歴史観です。馬淵町長は、風船爆弾を「狂気の兵器」と呼び、「嫌がらせ以外の何ものでもない」と厳しく批判しました。人命を奪いながら何の成果も得られなかったその行為は「無意味」であり、旧日本軍の発想には「根っこから共感できない」と語りました。その言葉には、歴史から学ぶべきだという強い意志が込められていました。

この対話を通して、戦争の記憶が少しずつ風化していく今だからこそ、私たちはもう一度「戦争とは何だったのか」「平和とは何か」を考える必要があると、改めて感じました。一宮町での上映が実現し、多くの方がこの映画を通して歴史と平和について思いを巡らせるきっかけになることを願っています。


一宮町の海辺を歩くと、潮の香りの向こうに、かつて“太平洋の向こう側”へ向けて放たれた風船爆弾の記憶が、静かに横たわっていることに気づきます。九十九里浜の南端に位置する一宮町は、太平洋戦争末期、日本陸軍が実施した「ふ号」作戦の発射基地(放球基地)のひとつでした。

この作戦の基地は日本にわずか三か所――千葉県一宮町、茨城県北茨城市大津、福島県いわき市勿来――に設けられ、いずれも太平洋に面した海岸砂地でした。発射は1944(昭和19)年11月に始まり、翌年3月ごろまで続きます。合計でおよそ9,000~9,300個の風船爆弾が放たれ、その一部、300個前後が実際にアメリカ大陸に到達したとされます。

風船爆弾(当時は「気球爆弾」と呼ばれました)は、和紙をこんにゃく糊で貼り合わせた直径約10メートルの気球に水素ガスを充填し、焼夷弾や爆弾を吊り下げて、偏西風に乗せて太平洋を横断させるという、前例のない兵器でした。作戦は川崎の陸軍登戸研究所で開発され、運用は三つの大隊に分かれて行われました。第1大隊(本部・大津)、第2大隊(一宮)、第3大隊(勿来)の編成で、各地の海岸に複数の発射点を設け、天候の良い日には1日200発規模での放球を想定していたといいます。

一宮の発射基地は、現在では目に見える構造物がほとんど残っていませんが、町教育委員会が設置した解説板と小さな石碑が往時を伝えています。看板のある地点(一宮町一宮6-35付近)から道を挟んだ海側一帯が発射区域で、上総一ノ宮駅からは資材搬入のための引込線が敷設されていました。戦後、基地は破壊されましたが、コンクリート土台の破片や球皮の欠片が住民の手で大切に保管され、後に教育委員会へ寄贈されています。

町内には直径10メートル超の円形コンクリート製の発射台が12か所あったとされ、発射時には風の影響を避けるため、高さ20メートルほどの木製の壁が設けられていたという研究もあります。

もちろん、この作戦がもたらした米国側の被害は小さくありません。アメリカ西海岸では山火事が発生し、1945年5月にはオレゴン州ブライ近郊で不発弾に触れた民間人6人が亡くなる痛ましい事故も起きました。日本国内でも当時は軍事機密として詳細が伏せられていましたが、戦後に史料や証言が次々と公開され、発射の実態と成果、そして兵器としての性格が徐々に明らかになってきました。

現在の一宮町では、町史編さん事業などを通じて風船爆弾の歴史を冷静に伝える取り組みが進められています。戦後80年に当たる今年は、中央公民館2階ロビーで企画展示「戦後80年 一宮町の“戦争”」(7月25日~12月22日)が開催されています。さらに11月22日には、風船爆弾研究の第一人者・明治大学の山田朗教授を迎えて「風船爆弾とは何だったのか~その狙いと作戦の実態」と題した講演会も開かれる予定です。(詳細は一宮町教育委員会まで。平日:0475-42-1416)

今ではサーフィンの聖地として国内外から多くの人が訪れるこの砂浜が、かつては戦争の狂気に染まった作戦の舞台であったことを、私たちは忘れずに語り継ぎたいと思います。

印刷する 🖨
閲覧数 55

Continue Reading

Previous: 石破総理、国連で「分断より連帯」を呼びかけ
Next: 常総水害から10年、記憶を未来へつなぐシンポジウム

Related Stories

250924ishiba02
  • 世界情勢
  • 平和・軍縮

石破総理、国連で「分断より連帯」を呼びかけ

管理者 2025年9月25日
250913inori01
  • 文化・芸術
  • 映画「ある町の高い煙突」
  • 映画「ぼくは風船爆弾」

映画が語る「秘史」と平和のメッセージ/月刊「潮」10月号、映画監督松村克弥さんと女優高島礼子さんの対談記事

管理者 2025年9月13日
250815SnapShot
  • 公明党関連
  • 参政党
  • 平和・軍縮
  • 憲法・安全保障

終戦80年に“平和の心”の連帯を/公明党と参政党の党声明を読み比べる

管理者 2025年8月15日



井手よしひろです。 茨城県の県政情報、 地元のローカルな話題を 発信しています。 6期24年にわたり 茨城県議会議員を務めました。
一般社団法人地方創生戦略研究所
https://y-ide.com
master@y-ide.com

2025年10月
月 火 水 木 金 土 日
 12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031  
« 9月    

最近の投稿

  • 常総水害から10年、記憶を未来へつなぐシンポジウム
  • 映画「ぼくは風船爆弾」―かつての風船爆弾基地・一宮町での上映に向けて
  • 石破総理、国連で「分断より連帯」を呼びかけ
  • 能登半島地震における防災士・防災士会活動の課題と改善の方向性を検証する
  • 能登半島地震、石川県の対応は十分だったのか

アーカイブ

カテゴリー

  • 救急搬送における選定療養費の徴収開始について
    2025年9月24日
  • 知事定例記者会見(令和7年9月24日)
    2025年9月23日
  • 【CHALLENGE IBARAKI】#75「健康長寿チェック表」を活用してめざせ、茨城県民健康長寿日本一!
    2025年9月6日
  • いばらきパートナーシップ宣誓制度を実施しています
    2025年8月31日
  • 茨城県の取組「ここがすごい!」(第2次茨城県総合計画~主要指標等実績一覧~)
    2025年8月7日
  • 女性活躍支援 離島でも
  • 【主張】下水道管の老朽化 着実な補修・更新へ対策強化を
  • コラム「北斗七星」
  • 公明が改革勢力の軸に
  • 読者の質問にお答えします
このホームページ(Blog)へのリンクは自由に行ってください。
文章の引用等も自由です。
ただし、リンクや引用等によって生じた不利益に対して、管理者はその責任を負いかねますので、ご容赦ください。
Copyright © All rights reserved. | MoreNews by AF themes.