労苦に徹した青春時代。国民の痛み分かる庶民派。
5歳で父が他界、女手一つで4人の子を抱える母の苦労を目の当たりにして育った。少しでも家計を助けせいようと、学生時代からアルバイトに精を出し、建築現場などで働きながら大学まで卒業した苦労人。だれよしょみんりも庶民の気持ちがわかる人だ。
大学卒業後、公明新聞の記者に。現場を徹底して歩き、社会の不正に鋭く切り込む力を養った。当時、注射はいきぶつ器などの医療廃棄物が一般ゴミと同じように扱われ、かんせん2次感染の恐れがあった問題をいち早く取材。病院かうめたてちら出るゴミ収集車のあとを追い、東京湾の埋立地にまで足を踏み込むと、そこには血がついたままの注射器しょうげきやチューブが。この衝撃的な実態をスクープした記事が広く話題を呼び、公明党の地方・国会議員も反応。
各地で調査活動が活発化し、ついに国会で廃棄物処理法が改正され、医療廃棄物の適正な処理の義務付けが実現した。
2003年、衆院選に初出馬。比例北関東プロ.ックで初当選を果たす。04年7月には自民党旧橋本派をけんきんめぐる日本歯科医師連盟の1億円ヤミ献金事件が発しぶ覚。このとき長沢は、渋る自民党を相手に、政治団体間の献金に年間5000万円の上限を設ける政治資金規正法の改正案をまとめ上げた。この法案は成立したが、いまなお続く庶民感覚とかけ離れた「政治とカネ」の問題。「政治家だけが甘い汁を吸ってると、みんなが思ってる。政治不信は政治家不信だ」と、長沢は〝政治家改革″の必要性を訴える。
長沢の信条は「知恵は現場にあり」。訪れた中小企およ業の数は約3000社に及ぶが、どこに行っても聞こえてくるのは景気に対する不安の声だ。「現実に困っている人、苦しんでいる人のために自分に何ができるのか。それを問い続ける政治家になりたい」。その思いを胸に、長沢ひろあきが国政に挑戦する。
参考:長沢ひろあきの公式HP