今日9月8日は、戸田城聖創価学会第2代会長が、昭和32年、横浜三ッ沢競技場で、核兵器を“絶対悪”と位置付けた歴史的な「原水爆禁止宣言」を発表してから、ちょうど50年の節目を迎えました。
原水爆禁止宣言
戸田城聖創価学会第2代会長(1957/9/8:横浜三ツ沢競技場)
諸君らに今後、遺訓すべき第一のものを、本日は発表いたします。(中略)
これは、私たちが絶対にやらなければならぬことであるが、今、世に騒がれている核実験、原水爆実験にたいする私の態度を、本日、はっきりと声明したいと思うものであります。いやしくも、私の弟子であるならば、私の今日の声明を継いで、全世界にこの意味を浸透させてもらいたいと思うのであります。
それは、核あるいは原子爆弾の実験禁止運動が、今世界に起こっているが、私はその奥に隠されているところの爪をもぎ取りたいと思う。それは、もし原水爆を、いずこの国であろうと、それが勝っても負けても、それを使用したものは、ことごとく死刑にすべきであるということを主張するものであります。なぜかならば、われわれ世界の民衆は、生存の権利をもっております。その権利を脅かすものは、これ魔物であり、サタンであり、怪物であります。それをこの人間社会、たとえ一国が原子爆弾を使って勝ったとしても、勝者でも、それを使用したものは、ことごとく死刑にされねばならんということを、私は主張するものであります。
たとえ、ある国が原子爆弾を用いて世界を征服しようとも、その民族、それを使用したものは悪魔であり、魔物であるという思想を全世界に広めることこそ、全日本青年男女の使命であると信じるものであります。願わくは、今日の体育大会における意気をもって、この私の第一回の声明を全世界に広めてもらいたいことを切望して、今日の訓示にかえる次第であります。
もとより戸田2代会長は、仏法者として死刑廃止論者でした。その戸田2代会長が、原水爆の使用者を「死刑」と糾弾した理由は、生命の尊厳という最極の価値を根こそぎにし、生存の権利を脅かす者への、仏法者としての心底からの怒りの表現であったと思われます。「魔もの」「サタン」「怪物」との、厳しいことばも、核廃絶への断固たる決意の表われであると思います。
この原水爆禁止宣言は、2年前に発表された有名な「ラッセル・アインシュタイン宣言」の一節「私たちは、人類として、人類にむかって訴える――あなたがたの人間性を心にとどめ、そしてその他のことを忘れよ、と」(『核の傘に覆われた世界』久野収編、平凡社)と、相通ずるものがあります。むしろ、分かりやすい直截的な表現で、青年に訴えかける原水爆禁止宣言の卓越性は、刮目すべきものです。
宣言から50年が経った現在でも、「核兵器は安全保障の確保に有効だとする“神話”」が生き続けています。
唯一の被爆国である日本国内でも、昨年秋の北朝鮮核実験にともなって、日本の核武装も「議論されてもいい」と公言する政治家が現れています。参院選前には久間前防衛相が日本への原爆投下を「しょうがなかった」と発言し、核を容認し、核と共存しようとする憂慮すべき事態が進んでいます。
核兵器の使用はいかなる理由があっても許されぬ「絶対悪」であるとの原水爆禁止宣言の精神をもう一度、50年目の今日改めて確認したいと思います。
そして、この精神を戦争を知らない世代、原水爆の恐ろしさを知らぬ青少年に教えていかねばなりません。その意味で平和教育の充実は、非常に意味のある課題だと考えています。
原水爆禁止宣言の記事を読ませていただきました。
9月の一般質問で平和教育について取り上げます。子供たちに、戦争体験を聞いて小冊子を出すとか、修学旅行を広島に、もしくは代表を広島平和式典に派遣するなど、具体的に要望する予定です。原水爆禁止宣言の意をくんだものにしたいと思います。