
月刊「潮」2025年10月号の誌面に、映画監督・松村克弥さんと女優・高島礼子さんの対談が掲載されています。ページを開いた瞬間から、二人の落ち着いた声が誌面を通して聞こえてくるような、そんな対談でした。
松村監督といえば、日立市の公害克服の歴史を描いた『ある町の高い煙突』のメガホンをとった方。私自身、映画を応援する会の一員として活動を共にしてきたので、今回の対談はとても身近に感じられました。

隠された歴史を掘り起こす監督のまなざし
誌面ではまず、松村監督がこれまで手がけてきた戦争映画が取り上げられました。監督が語るのは、戦争映画における二つのこだわり。「あまり知られていない秘史に光を当てること」、そして「戦争を美化せず、ヒーロー像を描かないこと」。
『サクラ花ー桜花最期の特攻ー』では、人間が操縦するロケット爆弾「桜花」に乗った若者たちの苦悩を描きました。
『祈りー幻に長崎を想う刻ー』では、被爆から2年後の長崎に生きる人々の心の傷と、国際社会における原爆への無知を鋭く描き、バチカンでの試写会や岸田文雄総理、バイデン大統領夫人へのDVD贈呈など、国際的な広がりも話題になりました。
そして最新作『ぼくは風船爆弾』は、あまり知られていない風船爆弾の史実を子どもたちにも伝わる形で映画化。「学校で観られる作品にしたい」という監督の言葉が誌面から伝わってきます。
松村監督は、「桜花」を製作するにあたり、百田尚樹氏のベストセラー小説を映画化した『永遠の0』を意識していたと述べています。その上で、監督は「『永遠の0』が戦争を美化していたとは思いませんが、それでも、僕が描きたい戦争とは違う」と語っています。監督の平和を思う心情が素直に表れた、言葉だと思います。
高島礼子さんが語る、父から受け継いだ戦争観
対談では高島さんも、自身の家族史を交えて語りました。お父様は戦争経験者でしたが、戦地に赴く前に終戦を迎えた世代。軍隊では殴られる日々を過ごし、家庭では戦争の話題を避けていたそうです。それでも、アメリカへの尊敬の念から娘に英語の勉強を勧めたというエピソードは印象的でした。
また高島さんは、最近出演した反戦映画『ハオト』の撮影秘話にも触れ、戦争末期の精神病院を舞台に描かれる狂気と人間の尊厳について語る場面では、誌面越しに静かな緊張感が漂います。
戦後80年、映画が果たす役割
「戦争体験者が少なくなる今だからこそ、小説や映画が歴史を刻みつける意味は深い」と高島さん。松村監督も、「誰もが知っている話なら映画にする必要はない」と語り、忘れられつつある歴史を掘り起こす使命感を改めて強調していました。
二人は、ウクライナ戦争や中東情勢が緊迫する今こそ、『祈り』のような作品が核兵器の恐ろしさを世界に伝え、長崎を「最後の被爆地」とする願いを未来へつなぐ力になると語り合っていました。
次なる挑戦は沖縄戦
誌面の後半では、松村監督が次に挑むテーマが語られました。それは沖縄戦、そして読谷村の「シムクガマ」です。約1000人が避難した鍾乳洞で、英語が話せる二人の避難民が米軍将校と交渉し、全員が助かったという奇跡の物語です。
高島さんは「悲劇の中にも人間の尊厳の光があったのですね」と感嘆し、監督からの出演オファーに「ぜひ!」と即答。誌面から二人の新しい挑戦への熱が伝わり、読み手の胸も高鳴ります。
松村監督が掘り起こす秘話、そして高島さんの凛としたまなざし。対談全体から、「戦争の記憶を未来へ託す」という共通の思いがにじみ出ていました。映画が持つ「伝える力」を改めて実感させられる記事でした。次回作の公開が待ち遠しく、誌面を閉じてもなお、心に余韻が残る対談でした。
9月末には、『ぼくは風船爆弾』の上映の依頼に、千葉県一宮町を松村監督と訪れる予定です。