国民の命を財産を守る防災予算を、予算の「真ん中」へ。
阪神・淡路大震災から31年という月日が流れました。あの日、多くの命が失われた神戸の街に立ち、崩れた高速道路や倒壊した家屋を目の当たりにした時の衝撃は、今も私の政治活動の原点として深く刻まれています。1月17日を迎えるたびに、私たちは「命を守るために何ができるか」を自らに問い直さなければなりません。

今、改めて国の予算という数字の羅列に目を向けてみると、私たちが何を守ろうとしているのか、その優先順位が鮮明に浮かび上がってきます。1995年当時、4.7兆円だった国防予算は、現在では約8.7兆円へと、30年間でほぼ倍増する勢いを見せています。もちろん、他国からの脅威に備える安全保障は大切です。しかし、その一方で、私たちの足元にある「自然災害」という名の脅威に対する備えはどうでしょうか。
内閣府の資料を紐解くと、防災関係の当初予算は、国防予算の増額ぶりに比べると驚くほど限定的です。2025年度の当初予算案で見れば、国防予算の8.7兆円に対し、防災予算は1.9兆円。もちろん、災害が発生すれば補正予算が組まれますが、それは事が起きてからの「後追い」に過ぎません。私たちが阪神・淡路大震災から学んだ最大の教訓は、被害が出てから手を尽くすのではなく、被害を最小限に抑える「事前防災」こそが、救える命の数に直結するということだったはずです。
もしも、国防予算の増額に投じられる情熱と資源のほんの一部でも、古い住宅の耐震化や、避難所の環境改善、そして地域で支え合うための防災体制の構築に振り向けることができたら、どれほど多くの「明日」が守られることでしょうか。安全保障とは、決して遠くの空や海の話だけではありません。今、ここで生きている人々の命が、自然の猛威によって不当に奪われないこと。それこそが、国家が果たすべき最も基本的で、最も重要な安全保障であると私は信じています。
「災害は忘れた頃にやってくる」という寺田寅彦の言葉を、ただの不安で終わらせるのではなく、確かな安心へと変えていくために。1月17日を、単なる追悼の日とするだけでなく、防災予算の抜本的な強化を求め、行動を起こす決意の日とする。地方行政に関わった一人として、そしてこの地域に生きる一人として、これからも皆さんと共に、命を守るための「新しい安全保障」の形を追求し続けていきたいと思います。
