
2025年6月20日、公明党の山口那津男元代表(参議院議員)が、今夏の参議院選挙には立候補せず、政界を引退することを正式に表明しました。1986年の国政初挑戦から約35年。長きにわたり、国政の第一線で活躍されてきた政治家人生に、ひとつの区切りがつけられました。
山口元代表は、茨城県ひたちなか市出身。日立市で幼少期を過ごしました。茨城大付属中、県立水戸一高を経て、東大法学部を卒業。1990年の衆院選で旧東京10区から初当選。小選挙区選挙導入により96年の衆院選で落選しましたが、2001年の参院選で復帰しました。2009年に党代表に就任し、2023年までの長きにわたり、公明党代表として党運営の中心を担いました。

その政治姿勢の根幹には、地元いばらきへの熱い思いがありました。とりわけ、2011年の東日本大震災や2015年の関東・東北豪雨の際には、被災地・茨城の声を国に届け、具体的な支援につなげてきました。計画停電の対象から茨城県を除外させるための働きかけや、グループ補助金の対象地域への追加、さらに収穫後の米農家への支援制度の拡充など、細やかな対応に力を尽くしました。
私自身も、震災直後の2011年3月18日に山口元代表とともに潮来市、鹿嶋市、神栖市を調査で訪れました。多くの政党の中で、政党の代表者が被災地・茨城県に駆けつけたのは山口元代表が初めてでした。液状化や津波で大きな被害を受けた地域の住民の方々に耳を傾け、「この声を必ず国へ届けます」と語りかけていた山口元代表の姿が、今も強く印象に残っています。
また、2016年に開催されたG7科学技術大臣会合をつくば市に誘致するにあたっても、地元議員との連携を深めながら政府への働きかけを行い、茨城の国際的な発信力を高める一助となりました。科学技術都市・つくばのポテンシャルを世界に示す大きな契機となりました。

文化面でも、山口元代表の取り組みは注目されました。映画『ある町の高い煙突』の制作には多大なご支援をいただきました。
原作の生まれた背景には、実父・山口秀男さん(初代日立市天気相談所長)の働きかけがあったことが知られています。気象庁時代の縁を通じて新田次郎氏に日立の煙害克服の歴史を伝え、小説『ある町の高い煙突』が誕生しました。その小説は後に映画化され、山口元代表自身が監督や出演者とともに首相官邸を訪れ、完成を報告するなど、郷土の歴史と教訓を全国に伝える役割を果たしました。
日立市では、企業と住民が対立ではなく話し合いと協力によって問題解決に取り組んだ歴史があります。山口元代表はこの「共存共栄」の姿勢に強く共感し、現代社会が抱える「分断」に対するヒントとして、国内外にその価値を宣揚しました。

加えて、年に2回開かれる「茨城県人会連合会」の会合にも、山口元代表はほぼ皆勤で出席しました。東京で活躍する茨城出身の経済人や文化人たちとともに、ふるさと茨城の話に耳を傾け、互いの絆を深めていました。どんなに多忙な時期であっても、茨城への思いを忘れず、時間を惜しまず参加する姿勢には、強いふるさと愛が感じられました。
今回の引退について、山口元代表は「党の定年制の例外を続けるのではなく、後進に道を開くべき」と語っています。その上で、「片時もふるさとを忘れなかった。茨城県出身であることを誇りにしながら、議員生活を営んできた」、「今後は中高時代の同窓生や議員仲間とのつながりを生かし、私なりにふるさとに寄与できる道を模索したい」と、地元紙の取材に応えています。
長年にわたって、茨城の声を国政に届け続けた山口元代表。その歩みは、茨城にとって、そして日本にとっても大きな財産であったと思います。これまでのご尽力に心から感謝を申し上げるとともに、これからの新しいご活動にも期待したいと思います。
2025年6月20日、公明党両院議員総会での山口那津男参院議員(元公明党代表)の挨拶。
公明党チャンネルからの抜粋。
皆さん、本当に長い間ありがとうございました。
思えば、昭和63年に党の公認をいただきました。 1990年、中選挙区の下で東京10区、初当選をさせていただき、2期6年8か月、衆議院議員の任にありました。 小選挙区に代わって2回落選をいたしました。 そして、2001年に参議院に議席をいただいて、4期24年間、参議院議員として仕事をさせていただきました。
この間、党員、支持者の方々をはじめ、党の創立者、そして多くの諸先輩にご指導、ご鞭を賜った、本当にいたものであり、また同僚の皆さん、後輩の皆さんにも支えていただいた、その結果であります。 改めて心から感謝と御礼を申し上げます。皆さん、本当にありがとうございました。
私が心がけてきたことは、この議員の仕事として、ライフワークとして、1つのテーマをしっかりと追いかけていくと、こういう取り組みが1つ、対人地雷の除去、被害者の削減ということに取り組んでまいりました。
それともう1つは、公明党の持ち味、他党にはない公明党の持ち味を確立していくこと。それは、ネットワークを活かした政策実現力ということであります。衆参の国政だけではなくて、都道府県または市区町村、それらの公明党のあらゆるパワーを連結させて、大きな政策目標をそれぞれの役割分担で立体的に政策を推進していくと、こういう活動であります。
これからもこの2つ、私個人として求め続けていきたいと思います。 今の困難な政治状況のもとで分子結合を追求すると、これもまた新たな試みであり、大事な役割だと、このように思います。
最後に、みなさ、皆さんに受け継いでいただきたいことは、これまで本当に様々な方々のご恩によって今日を迎えているということであります。
恩を送るという言葉があります。恩を返すというのも1つのあり方でありますが、この同世代以下の若い世代の皆さんにお世話になった創立者、諸先輩党員、支持者の方々からいただいた恩をまた次の世代に送り伝えていきたいと、このように思います。
ほんとに皆さんありがとうございました。お世話になりました。