1月17日。
6434人の尊い命が奪われ、24万9180棟もの住宅が全半壊した阪神・淡路大震災から、31年目を迎えました。
1995年1月17日午前5時46分。
淡路島北部を震源とするマグニチュード7・3の直下型地震が発生し、阪神地域では観測史上初めて最大震度7を記録しました。激しい揺れは約20秒間続き、一瞬にして多くの人々の日常と暮らしを奪いました。地震後には大規模な火災も相次ぎ、被害は都市機能全体に及びました。
この日、私は県議選に初当選し、初めて県議会に臨む日でもありました。
刻々とラジオから流れてくる被災地の惨状に耳をそばだてながら、水戸へ向かったあの日の緊張感と胸のざわめきは、31年が経った今も生涯忘れることができません。
その後、2月には神戸の被災地を訪れ、現地調査とボランティア活動を行いました。倒壊した建物、折れ曲がった高速道路の橋脚、そして懸命に日常を取り戻そうとする人々の姿。その光景は、災害の現実と向き合う重さを、私自身に深く刻み込みました。
阪神・淡路大震災は、多くの課題を突きつけました。
都市直下地震への備え、初動対応の遅れ、人命救助や情報伝達のあり方、復旧・復興の制度設計――。一方で、この震災を契機に、日本社会に大きな変化も生まれました。
全国から延べ137万人もの人々が被災地に駆け付け、「ボランティア元年」と呼ばれる新たな時代が始まりました。個々人の自由な意思に基づく利他の行動は、その後の東日本大震災や熊本地震、そして能登半島地震へと確実に受け継がれています。1月17日が「防災とボランティアの日」と定められているのも、こうした背景があってのことです。
また、被災者生活再建支援法をはじめ、被災者を支える制度も大きく前進しました。住宅再建への公的支援、がれき処理の国費負担、仮設住宅の環境改善、公共施設や学校の耐震化、災害弱者を地域で支える仕組みづくり、自治体間の相互応援協定――。多くの制度や取り組みは、阪神・淡路大震災の痛切な教訓の上に築かれてきたものです。
それでもなお、災害は繰り返し私たちを襲っています。
東日本大震災、近年の豪雨災害、そして能登半島地震。被災者支援のあり方や、地域防災の実効性は、今も問い続けられています。
「明日はわが身」。
この言葉を単なる警句で終わらせず、日常の備えと地域の支え合いへとつなげていくこと。それこそが、阪神・淡路大震災で失われた多くの命に応える道だと感じています。
1月17日は、黙祷を捧げる日であると同時に、新たな決意を胸に刻む日です。
地方政治に関わる一人として、そして地域に生きる一人として、これからも防災・減災、そして人に寄り添う支援のあり方を問い続け、行動していきたいと思います。
