明らかに変わった『政治の質』:
公明党が連立政権に参加して、10月5日で満6年になりました。自民党、自由党、公明党の連立による小渕改造内閣が発足したのは、1999(平成11)年。その後、自自公連立から自公保連立へ。森政権から小泉政権へと続き、03年11月には、保守新党の自民党への合流に伴い「自公連立」の第2次小泉内閣が成立しました。郵政問題をきっかけに、今年9月には総選挙が行われ、自公で衆議院の3分の2を超す327議席を確保し、第3次小泉内閣が発足。現在に至っています。
思い起こすと99年当時、日本発の世界恐慌が本気で論じられていました。98年に、山一證券、日本長期信用銀行、北海道拓殖銀行といった大きな金融機関が相次いで破たんが相次ぎ、バブル破綻による経済危機が現実のものとして、国民生活に暗い影を落としていました。こうした深刻な状況にあっても、政治は経済・金融危機を打開するどころか、政権奪取を狙って自民党を揺さぶる民主党など野党の攻勢が強まり迷走を続けていました。
そうした中で、公明党は、小渕首相の要請を受け政権参加を決断しました。未曾有の難局を乗り越え日本を再生するためには、改革への強いリーダーシップの発揮を可能にする「政治の安定」こそが不可欠であるとの大局的判断に立っての決断でした。もとより政権参加は、生易しい決断ではありませんでした。
その経過は、第2回臨時党大会での神崎代表の挨拶に詳しく述べられています。(1999/7/24)
当初、「大臣ポストほしさに連携するのではない。あくまでも政策を実現するためであり、そのイメージを明確にするためにも閣外協力にとどめておく必要があるのではないか」という考え方を持っていたことは事実だ。閣外の方が独自性は発揮しやすいが半身の姿勢、閣内は責任を共有し、政策の実現もしやすくなるという違いがある。当初、閣外にとどめて置こうという立場で議論を開始したが、党内で議論を重ねる中で「自民と連立・連携する以上、むしろ真正面から政治に取り組み、責任を分かち合うべきである」との声が高まった。こうした侃々諤々の党内議論を尽くしての決断が「閣内協力=連立政権への参加」でした。連立6年の歩みは、その決断が間違っていなかったことを示していると確信しています。
また、7月7日に小渕首相から連立の要請を受けた際、首相から明確に、「閣内の一員として連立政権に参加をしてほしい」と言われた。この点も考慮して、公明党が21世紀の日本の政治に責任を持って真正面から取り組むという姿勢の表れとして、閣内に入るという考え方で対応してはどうかとあいさつで申し上げたのである。
庶民の目線に立った政策実現力こそ公明党の真骨頂
公明党が連立政権に参加した最大の成果は、景気・経済の回復が挙げられます。現在にいたって、不良債権の処理が進み、金融機能は回復しました。株価も回復、完全失業率も好転しています。地方や中小零細企業にまだ十分行き渡っていないとはいえ、国民が肌身に感じる景気回復が進んでいます。
また、公明党の政権参加で「政治の質」が大きく変わりました。旧来の保守政治では優先順位が低かった平和、福祉、環境、人権、教育、文化の分野が政治の表舞台に押し上げられました。児童手当の拡充や待機児童ゼロ作戦などの少子化対策、奨学金制度の大幅拡充、文化芸術振興基本法による文化立国への取り組み、循環型社会形成推進基本法を通しての持続可能な社会への挑戦、資金繰り円滑化借換保証制度の創設など、公明党らしい政策が次々と実現されました。
さらに特筆すべきは、庶民感覚とかけ離れた国会議員の特権などにメスを入れる国会改革、政治家改革が進みつつあることです。自社さ連立政権ができなかった、あっせん利得処罰法の制定・改正など、「政治とカネ」の問題についても改革が進んだ事実も忘れられません。
連立6年の成果は明々白々であり、その国民の評価が今回の連立与党の大勝利につながったことも否定できません。
とはいえ改革はなお途上にあります。連立与党の真価発揮は、いよいよこれからです。「公明党は、平和主義とか、国民一人ひとりの考え方を大事にするとか、弱者の観点といった自民党に不足しがちな視点で、国民のニーズを細かく拾い上げてくれている」とは、福田康夫・前官房長官が語った言葉です。庶民の目線に立って政策実現力を発揮し改革を担う公明党の責任と役割は一段と重くなっています。