きょう8月15日、日本は62回目の「終戦の日」を迎えました。
先の大戦では、国家間の争いによって多くの尊い命が失われました。終戦から62年、すべての戦争犠牲者の方々に祈りを捧げるとともに、「不戦への誓い」を新たにする日が8月15日です。戦後60年以上が過ぎ、戦争の記憶が薄れつつあります。いまや戦争を体験した戦前生まれの世代の割合は約4分の1にまで減り、広島、長崎の被爆者の平均年齢は75歳になろうとしています。戦争や被爆体験を直接聞くことができる機会は今後、ますます減っていきます。
だからこそ国民一人一人が戦争体験の風化に立ち向かおうとの決意と行動が大切になります。歳月が過ぎ去ろうとも、戦争の残酷さ原爆の悲惨さを次世代に語り継ぎ、世界に発信していく努力をさらに強めていかねばなりません。
こうした状況の中、核をめぐる国際社会の環境も厳しい現実に直面しています。その象徴が、核戦争による地球破滅の日までの残り時間を示す「終末時計」です。米科学誌「ブレティン・オブ・ジ・アトミック・サイエンティスツ」が毎年、発表しているもので、今年は一気に針が2分進み「残り5分」となりました。針が進んだ理由として、北朝鮮の核実験、イランの核開発疑惑、核拡散への懸念などが指摘されています。
核保有国による軍縮を進め、核兵器開発能力の拡散を防ぐカギの一つは、弱体化が懸念される核拡散防止条約(NPT)体制をいかに強化していくかにあります。NPTは、米ロ英仏中を核保有国として規定し核軍縮交渉を義務付ける一方、非核保有国には核兵器の保有を禁止しています。しかし、ここ数年は保有国の核軍縮は全く進まず、現在も2万7000発を超す核兵器が存在し続けています。しかも、NPTは、未加盟のインド、パキスタン、イスラエルなど核保有国ないし疑惑国に対しては効力を持といません。核をこれ以上、拡散させないためには、IAEAのエルバラダイ事務局長が語ったように、「核兵器は安全保障の確保に有効だとする“神話”を崩し、核兵器の必要性を除去する措置」を確立する必要があります。
さらに、核を巡る国際状況は混迷を続けています。この一年間の出来事を見ても、2006年10月9日、北朝鮮が核実験を発表。また、イランの核開発疑惑は中東を不安定にしています。
北朝鮮に対しては核実験直後の10月14日、国連安保理が制裁決議を全会一致で採択したことで、その後の紆余曲折はあったものの、北朝鮮も7月14日に寧辺の核施設の稼働を停止、国際原子力機関(IAEA)監視要員の入国も認めました。また、イランも4月以来拒否してきたIAEA査察団を先月入国させ、建設中の実験用重水炉を査察させています。しかし、どちらの動きも全面解決への段階とは言えず、予断を許さない状況が続いています。
一方、国内政治でも北朝鮮核実験にともなって、日本の核武装も「議論されてもいい」と公言する政治家が現れたり、参院選前には久間前防衛相が日本への原爆投下を「しょうがなかった」と発言するなど、憂慮すべき事態が進んでいます。
核兵器保有を国家戦略上の優先課題と考える指導者や、「核武装論」を唱え「しょうがない」と発言する政治家の思想的背景には、核兵器を現実の存在として受け入れる「核の容認」「核との共存」の考えがあります。これは、唯一の被爆実体験を持つ日本人としては全く受け入れられない立場です。
被爆国・日本は、核兵器の非人道性と残虐性を世界に訴え、核廃絶へ強いリーダーシップを発揮していくべきです。核兵器の使用はいかなる理由があっても許されぬ「絶対悪」であるとの思想に基づき、断固たる決意で核廃絶めざし闘っていく必要があります。核廃絶にとって手詰まり感のある状況は続くが努力をやめるわけにはいきません。漸進主義で核の包囲網を狭めていくことがなにより重要です。そのためには、核との共存の思想を追放するための平和教育の可能性を追求することと同時に、何よりも現実に動いている核不拡散のための制度を尊重し、守っていくことが不可欠になります。
国際的な相互依存が進んだ今日の世界にあって、自国の平和のみを追求する内向きの一国平和主義は通用しません。地球全体の視野に立った「行動する平和主義」、すなわち世界中の人々がテロ、貧困、飢餓、紛争、感染症などの構造的暴力から解放される「人間の安全保障」確立への貢献こそ、日本の進むべき道であると考えます。また、人々の心から憎悪や偏見をなくす以外に平和をもたらす方法がないことを考えれば、不信を信頼に変え、反目を理解に変える「文化交流」「青少年交流」の推進が極めて重要です。
終戦記念日に当たり、憲法の恒久平和主義をどこまでも堅持し、日本とアジア、世界の平和、人類の繁栄に貢献する日本の国づくりに全力を尽くすことを改めて誓うものです。
(写真上:8月15日日立平和行進に参加した井手県議ら(左から2人目)、写真下:「残り5分」となった終末時計)