9月27日、平成11年に発生したJCO臨界事故から10年の節目に当たり、「JCO臨界事故から10年を迎えて」とのテーマでシンポジウムが東海村で開催されました。
主催者の挨拶の後、原子力安全委員会の鈴木篤之委員長が基調講演を行いました。
鈴木委員長は、JCO事故は様々な部門の油断から発生したと指摘。現場の作業者は「作業には安全余裕があるから大丈夫」、国や県の規制をする立場は「規則通りに運転されているはずだから大丈夫」、また研究者や専門家も「ウラン加工は濃縮率度が5%以下のはずなので大丈夫」と油断していた。「私自身もJCOでこんなに高い濃縮度のウランを取り扱っていたことが信じられないほどだった」と当時を振り返りました。
そして、事故の最大の教訓は「万一への備えの重要性」であるとして、「事故は起きるかもしれない、起きた場合の準備を怠らない、平時からの対応訓練が不可欠」と、二度とこのような事故を起こさないための基本を強調しました。
結論として、JCO事故から10年の節目に、1)事故の教訓を風化させない(油断禁物)、2)事故の教訓を最大限に生かす(万一に備える)、3)人的要因による事故の可能性を重視する、4)「安全に絶対安全はない」との基本的な考え方を忘れない、5)緊急時への対応を怠らない、6)世界に誇れる原子力安全国を目指す、6)世界の範となる原子力透明国となる、との6点が重要と講演しました。
平成11年9月30日午前10時35分ごろ、民間のウラン燃料加工工場JCOの転換試験棟で臨界事故が発生しました。ウラン溶液の混合作業中、沈殿槽に規定の7倍を超える溶液を投入したため、核分裂反応が連続する臨界状態になり中性子線が放出された事故です。作業員2人が死亡し、1人が大量被ばく、事業所周辺でも住民ら663人が被ばくするという前代未聞の原子力事故となりました。現場から半径350メートル圏内の住民に避難要請が行われました。国際原子力事象評価尺度による評価レベルは4で、国内の原子力事故史上最悪。当時のJCO東海事業所長ら社員6人と法人としてのJCOの刑事裁判は平成14年3月、全員の有罪判決が確定しました。
この臨界事故発生当時の状況を後世に伝えようと、東海村村松の原子力科学館に臨界が起きた沈殿槽の実物大模型などが展示されています。この設備をめぐっては、「事故を風化させないために現物を保存すべき」「全面撤去すべき」と村を二分する議論となり、約1年の論議の末、国が模型を作り、設備は将来復元可能な形で解体・撤去することで決着が図られました。国の委託を受けた原子力科学館の企画展示は平成平成18年4月に公開されました。しかし、企画展示は科学館の本館ではなく、駐車場の片隅の別館で行われているため、来場者が見逃すことも多くなっています。JCO臨界事故の記憶をむしろ薄めることに主眼がおかれているようにさえ思われます。
シンポジウムの冒頭挨拶に立った村上達也もこの点に言及、JCO事故を風化させず、福祉や文化の村「東海村」づくりに全力を挙げる決意を披瀝しました。
(写真上:JCO臨界事故から10年を迎えてシンポジウム、写真下:原子力防災フェア)