いよいよ明日(5月4日)、鳩山首相はアメリカ軍普天間飛行場の移設問題で、沖縄県を訪問します。首相は仲井真弘多知事や名護市の稲嶺進市長らと会談し、政府案を説明することにしています。アメリカ米側、社民党などの連立与党、さらには地元との根回しも全く済んでおらず、沖縄で首相が何を語るのか注目が集まっています。
鳩山首相が提案する普天間移設案は、現行のアメリカ軍キャンプ・シュワブ沿岸部に移設する計画を、「埋め立て方式」から「くい打ち桟橋方式(QIP)」に修正する案を基本に、鹿児島県・徳之島へのヘリ部隊の一部(最大1000名)移転案などを組み合わせたものです。
鳩山首相は4月24日には、現行案で決着させる可能性について「辺野古の海が埋め立てられることは自然に対する冒涜と感じる。受け入れるという話はあってはならない」と述べ、明確に否定してます。埋め立て方式がQIP方式に変更されたからといって、自然への影響は、果たしてどれだけ緩和されるのでしょうか?
QIP方式は、滑走路による日照の遮断と数千本の支柱で、海洋生物や環境に与える影響は大きいという指摘がります。さらに、この工法は、かつて日米間で具体的に検討された案ですが、テロ対策の難しさや費用面(埋め立て案の約3倍、4000億円以上の費用が掛かると言われています)などから排除された案に他なりません。
どれだけ現実的な案なのか、首相の提案の趣旨が意味が全く理解できません。
また、百歩譲っても「最低でも県外」との今まで主張と、どのような整合性があるのでしょうか?いつから、沖縄の辺野古の海上に基地を建設する考えに転じたのでしょうか?明らかな公約違反に対する、明確な説明を望むものです。
一方、徳之島への一部移転については、鳩山首相は4月28日、徳之島出身の有力者である徳田虎雄元衆院議員に協力を要請したが拒否されました。徳之島にある3つの町の町長は受け入れ拒否の姿勢を崩さず、5月7日に首相と会談し、明確に移転絶対反対の意思を示すことにしています。
さらに、アメリカ側も部隊運用上の理由から強い難色を示しており、全く、鳩山首相の一人芝居の様相と化しています。
鳩山首相は「5月末決着」に「職を賭す覚悟」と明言している。決着には移設先地元の合意が不可欠です。沖縄訪問時には、その覚悟と具体的な中身を国民に示してもらいたいと思います。
普天間基地の「危険性の除去」こそが最大の目的、最悪のシナリオは現状のままでの継続使用
1996年前に全面返還で合意された米海兵隊普天間基地。沖縄県宜野湾市の人口が密集する市街地にあり、ヘリコプターだけでなく、ジャンボ旅客機級のC5輸送機や、超音速のFA18戦闘攻撃機も飛来するため「世界で一番危険な基地」と言われていわれる米軍の飛行場です。
2004年8月、普天間基地に隣接する沖縄国際大学の敷地にCH53大型ヘリが墜落・炎上しました。市民に死傷者が出なかったのは不幸中の幸いでしたが、この基地の危険性を示すことになりました。
普天間基地の返還合意の背景には、1995年9月に沖縄で発生した米海兵隊員による少女暴行事件があります。これが沖縄県民の怒りに火をつけ、国民も沖縄の基地問題に目を向けました。政府は日米間で「沖縄に関する特別行動委員会」(SACO)を設置、沖縄の負担軽減に本腰を入れました。
翌96年4月、橋本首相(当時)と駐日米大使が代替施設完成を条件に普天間飛行場の全面返還で合意しました。同12月のSACO最終報告では、普天間飛行場のほか5施設の全面返還と、北部訓練場などの一部返還などが盛り込まれたのです。
普天間飛行場の移設場所については、99年11月に沖縄県が移設候補地として名護市辺野古沿岸域を決定しました。政府も同12月、沖縄県の決定通りに移設場所を閣議決定しました。沖縄県と名護市は県外・国外への移転を求めましたが、移設ができないまま普天間飛行場の危険性が放置されることを懸念し、苦渋の選択をしたわけです。
その後、2002年7月に国と沖縄県が埋め立ての基本計画を決定、04年9月からボーリング調査を始めましたが、本格工事には入れませんでした。
普天間基地を除き、SACO最終報告による沖縄米軍基地の返還が進む中、2002年からは世界的な米軍再編に合わせ、日米安保の将来像を探る日米協議がスタートしました。協議の基本方針は、日米安保の「抑止力維持」と「地元負担の軽減」とされ、在日米軍基地の再編が議題となりました。
2005年10月には、動きが取れなかった普天間飛行場の移設場所を、辺野古沿岸域からキャンプ・シュワブ沿岸部に変更することで日米が合意しました。06年4月に国と名護市がシュワブ沿岸部のV字型滑走路建設で合意しました。これは06年5月の「再編実施のための日米ロードマップ」に盛り込まれました。
V字案は日米両政府と地元沖縄の三者合意となりました。しかし、これも、沖縄県と名護市にとっては、普天間飛行場の危険性の除去のための苦渋の選択であったことは言うまでもありません。
迷走続ける鳩山内閣、対話も展望もない首相、頭越しの決定許されず
普天間飛行場の移設問題の経緯から明らかなように、移設の最大の目的は「危険性の除去」でに他なりません。
「ロードマップ」は2014年までの移設完了を明記しました。もし、何の展望もなく継続使用され、万一、事故が発生した場合、抑止力を担う海兵隊の日本駐留自体が「反基地」の声の中で困難になる可能性もあります。それでは在日米軍基地再編の基本方針の一つである「抑止力維持」が崩れてしまいます。
また、「ロードマップ」には、SACOで決まった施設返還のうち、普天間飛行場移設や嘉手納飛行場以南にある広範な土地の返還など進行中の事業も含まれています。また、沖縄の海兵隊員8000人のグアム移転も具体化されています。ただし、米国政府の資金の拠出を含むグアム移転のために必要な措置の条件が、「ロードマップに記載された普天間飛行場の代替施設の完成に向けての日本国政府による具体的な進展にかかっている」(グアム移転協定=09年5月国会承認・効力発生)ことから、移設への政府の取り組みが不十分なら、もう一方の基本方針「地元負担の軽減」も実現も困難になってしまいます。
鳩山首相は昨夏の総選挙で、移設場所を「最低でも県外」と公約しましたが、その後の迷走は、目に余るものがあります。【以下の年表参照】。
4月12日のオバマ米大統領との非公式会談でも5月中の決着を重ねて表明していますが、正式な政府案もなく、マスコミも厳しく論評しました。政府の構想として報道された移設先は、県内移設も含む噴飯ものの案です。
公明党は地元の納得が全ての前提と主張
公明党は普天間飛行場返還について、県外・国外への移設をベストの選択とした経緯があります。しかし、06年に日米両政府と地元沖縄が大筋で合意した事実を受け入れ、現行V字案を尊重しました。
ところが、鳩山政権の展望なき「県外・国外」移設論や、首相や閣僚の相次ぐ発言の食い違い、また、首相自らが沖縄にも入らない対話不在の政治姿勢が沖縄の怒りを招き、現行V字案も実現困難になってしまいました。現状のまま継続使用という最悪のシナリオを避けられるのか――政府の責任は重いものがあります。
公明党は本土復帰前の沖縄で、米軍基地総点検を敢行し、遊休施設などの返還を実現させた実績があります。基地返還は言葉だけで解決する問題ではありません。鳩山首相の行動力が問われています。
先月26日、沖縄県で仲井真弘多知事と会談した山口那津男代表は「危険性の除去」が最終目標であると強調し移設地決定について「検討プロセスとして、沖縄の頭越しにやるべきではない」と訴えました。
鳩山政権での普天間問題の経緯
<2009年> | |
9月16日 | 鳩山政権発足 |
25日 | 首相、沖縄県外移設が前提との考えを表明 |
10月7日 | 首相、沖縄県内移設容認の可能性を示唆 |
16日 | 首相、10年1月の名護市長選後への結論先送りを表明 |
11月10日 | 日米両政府が閣僚級の作業グループ設置で合意 |
13日 | 日米首脳会議で首相、「トラスト・ミー」と強調 |
12月15日 | 結論を10年に先送りし与党内協議をする政府方針を決定 |
25日 | 首相、10年5月までの決着方針を表明 |
28日 | 政府と与党の沖縄基地問題検討委(沖縄委)の初会合 |
<2010年> | |
1月24日 | 名護市長選で辺野古移設反対派の市長が誕生 |
2月24日 | 沖縄県議会が県外移設要求の意見書を全会一致で採択 |
3月2日 | 平野官房長官、駐日米大使に現行計画断念を伝達 |
4日 | 首相、3月中に政府案を固める意向を表明 |
8日 | 沖縄委で社民、国民新党両党がそれぞれ候補地を提示 |
23日 | 首相と関係閣僚が政府案を協議 |
29日 | 首相、政府案の3月中確定のずれ込みを示唆 |
31日 | 党首討論で首相、腹案があると表明 |
4月5日 | 首相、徳之島移転の報道を「勝手な憶測」と否定 |
12日 | 首相、非公式会談で米大統領に5月末の決着を伝える |
19日 | 民主鹿児島県連が首相に徳之島の白紙撤回を要求。首相、記者に「徳之島の皆さんに不安募らせた」と陳謝 |
20日 | 政府、徳之島の3町長に平野官房長官との会談を打診。3町長はともに会談を拒否。北沢防衛相、今の状況で徳之島は厳しいとの認識示す |
21日 | 党首討論で首相、5月末の決着を重ねて表明、さらに、沖縄から遠距離に移すのは物理的に適当でないとも表明 |
24日 | キャンプ・シュワブ沿岸部に移す現行案で決着させる可能性について「辺野古の海が埋め立てられることは自然に対する冒涜と感じる。受け入れるという話はあってはならない」と述べ明確に否定 |
5月2日 | 徳之島の3町長、首相と直接会って反対の姿勢を示す方針を表明 |
4日 | 首相が沖縄訪問(予定) |
7日 | 首相と徳之島3町長が会談(予定) |