

6月28日、「エコフェスひたち2025」が、日立シビックセンター、新都市広場、マーブルホールなどで盛大に開催されました。今年のテーマは「未来へつなぐまちづくり」。その中でも私たち「大煙突とさくら100年プロジェクト」は、100年前に日立の地で起きた公害の歴史と、それを乗り越えた市民と企業の協働の歩みを改めてご紹介するパネル展示を行いました。
日立市はかつて、鉱山の煙害という深刻な環境問題に直面していました。空は煙に覆われ、山々は荒れ果て、植物すら育たないほどの被害が広がっていたのです。しかし1914年(大正3年)、日立鉱山は地域住民との対話と協力の末、当時世界一とされた高さ155.7メートルの「大煙突」を完成させます。この巨大な煙突は、単に高さを誇るものではなく、10年に及ぶ苦悩と試行錯誤、そして克己の精神の結晶でした。

大煙突の建設によって煙害は徐々に和らぎましたが、取り戻すべきは自然の姿でした。日立鉱山と地域は手を取り合い、煙害で荒廃した山々に植林を行い、約1,000万本もの木々を植えました。特に注目されたのが、伊豆大島原産のオオシマザクラの導入です。煙に強いこの桜は、研究と実証を経て約200ヘクタールにわたり植えられ、春には白や淡いピンクの花がまちを彩る風景がよみがえりました。
今回の展示では、こうした歴史をもとに制作された絵本『大煙突とさくらのまち』のパネル展示や年表、写真などを通じて、日立が歩んだ環境再生の軌跡をご紹介しました。また、子どもたちにも楽しんでもらえるよう、参加型クイズや紙芝居の上演も行い、世代を超えて“過去に学び、未来を考える”機会となりました。
公害問題は常に新しく、人類に背負わされた永遠の十字架にも似ている。科学の発達につれて、公害もますます多角化してゆく。これを喰い止めようと、いかに多くの人々が、血のにじむ努力と苦悩を積み重ねてきたことか。しかし、此の努力が人類の進歩をもたらす原動力となっていることを考えると、公害の問題は、むしろ、われわれに対して「克己」ということを教えてくれているとも言えよう。
日立鉱山についても同様のことが言える。煙害問題なしに鉱山の歴史は語れない。大正3年12月、当時、世界最大と言われた煙突を、日立鉱山が独自に完成して、此の問題に終止符を打つことが出来たのであるが、これは凡そ十年に亘る歳月、地域住民と共に苦しみ、悩み、そして自らの手で解決し得た貴重な体験であった。
富士山が、ただ高いのではないと同様、日立鉱山の煙突も、ただ高いだけではないのである。
「日立鉱山煙害問題昔話」(関右馬允著、1963年)に寄せられた久原房之助の巻頭言より
高くそびえる大煙突も、春を彩るさくらの並木も、ただの風景ではありません。それは「苦しみから目をそらさず、対話と協力で乗り越えてきた証」であり、私たちがこれから目指すべき“持続可能なまちづくり”の原点なのです。