平成17年3月31日、旧日立電鉄はその77年に及ぶ営業を終了し、廃線となりました。(写真は最終電車を見送る当時の松葉社長です)
自家用車の普及や産業構造の変化などにより、日立電鉄線の輸送人員は1961年の年間717万人をピークに減少に転じ、1988年より鉄道事業は赤字に陥りました。日立電鉄では、公共交通の社会的役割を果たすためバス部門等の収益に依存して、鉄道の運行を維持してきました。しかし開業後75年が経過して施設の老朽化が進み、鉄道事業の使命である安全運航を将来的に維持するのは難しいと判断。2005年3月に鉄道事業を廃止、77年間の歴史に幕を下ろしました。
廃線の跡地は鉄道施設がかなり老朽化しており、安全管理の面を考慮し、軌道レール、架線、橋梁、橋脚、踏切、隧道、駅舎、変電所等鉄道施設の撤去解体を急ピッチで進みました。そのまま放置していたならば、2011年3月の間東日本大震災での二次災害が発生したかもしれません。
電鉄線を駆け抜けていた車両達は、行き先もなくほとんど解体されました。
鉄道跡地は、有効利用を図るために日立市に13.1キロメートル区間を、常陸太田市に5キロメートル区間が無償譲渡(寄付)されました。
平成26年4月1日、井手よしひろ県議は廃線9年後の旧日立電鉄線跡地の日立市内区間を確認調査しました。
特徴的な大橋駅付近の架道橋は路線廃止後直ちに撤去されました。橋脚部分はすでに隣接した民家に売却され、駐車場に自家用車の変わっていました。
国道6号のアンダーパス付近は、国道の拡幅工事に伴い工事用道路として専用されています。
南高野駅周辺は、市道が狭隘なため旧日立電鉄線を利用して拡幅工事が進んでいます。
沿線で唯一のトンネル(JR常磐線をアンダーパスする隧道)は、すでに埋められていました。
旧久慈浜駅は、日立市立南部図書館に生まれ変わっています。昨年4月1日、旧久慈浜駅とJR大みか駅間は、バス専用路線(ひたちBRT)として新たな出発をしました。
日立市では、旧日立電鉄線跡地を利用して、JR大みか駅からJR常陸多賀駅、JR日立駅を結ぶBRTを結ぶ計画が進んでいます。平成29年春には常陸多賀まで、その後、日立まで延伸されることになっています。旧水木駅周辺では、BRT専用線の工事が進んでいます。
旧河原子駅の北側の県道を跨ぐ鉄橋も撤去されていました。終点の鮎川駅は駅舎が全て撤去され、小綺麗な住宅団地に生まれ変わっていました。