
いま、日本の政治の現場で、私たちが真剣に向き合わなければならない動きがあります。それは、憲法の原則を根底から覆しかねない「戦前回帰」の思想が、参院選の政策の名のもとに語られ始めているという事実です。
参政党が掲げる「Political Measures(政策)」の中にある次の一文に注目したいと思います。
「日本の精神文化の象徴である神社の国有化を進め、伝統儀式の維持保全につとめる」
この主張は、一見すると伝統文化の保護や国民の精神的アイデンティティの回復を意図したものに映るかもしれません。しかし、その根底にある思想は、明らかに戦前の「国家神道」体制に連なる危険な発想です。そしてそれは、現行の日本国憲法の基本理念と明確に矛盾します。
■ 憲法の柱「政教分離」は国家神道の否定
日本国憲法第20条は、政教分離原則を明確に定めています。
「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、または政治上の権力を行使してはならない」
「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」
この条文は、かつて日本が国策として「神道を国家の宗教」と位置づけ、思想統制や国民の忠誠を強制した歴史への深い反省に基づいています。戦前の「国家神道」は、国が神社や神職を管理・統制し、天皇を神格化し、宗教と国家を一体化させる体制でした。その結果、異なる信仰を持つ人々は排除され、自由な思想や宗教の尊重は踏みにじられました。
戦後、国家神道は廃止され、日本はようやく信教の自由と政教分離という基本的人権を獲得しました。それが現行憲法の大きな柱なのです。
参政党が掲げる「神社の国有化」は、この政教分離の原則に真っ向から反する主張であり、まさに国家神道への回帰とも言える危険思想にほかなりません。
■ 神社の文化的価値と国家の関与は別問題
もちろん、神社が地域の伝統文化や祭礼の中心であり、日本人の精神的基盤のひとつであることは否定しません。私たちは多くの宗教文化を受け入れてきた寛容な社会を築いてきました。けれどもそれは、国家が特定の宗教施設を「国有化」することとは全く異なります。
神社が「文化財」として保護されることと、「宗教施設」として国が直接管理しようとすることは根本的に別の話です。
文化財としての支援ならば、宗教的中立性を保った形で制度設計が可能ですが、「国有化」という言葉には、国家による宗教活動への関与・支配の意図が強くにじみ出ています。
■ 政治が「宗教的価値観」を操作する危うさ
さらに深刻なのは、このような政策が進んだ先にある「国家による価値観の統制」という未来です。
「日本人の精神を取り戻す」「伝統を守る」という言葉は美しく響きますが、その裏で国が特定の宗教観や歴史観を押しつけるようになれば、それは思想・信条の自由を脅かす危険な道です。
多様な宗教、価値観、信仰を持つ市民が共に生きる社会こそ、現代日本が目指してきた民主国家の姿です。そこに逆行するような政策を、国家が主導することは、民主主義の破壊につながりかねません。
■憲法を守る視点から、今こそ警鐘を
参政党のこうした政策は、「伝統の美名」に隠された憲法秩序への挑戦であり、極めて危険な思想です。
私たちは今こそ、表面的な言葉に惑わされず、「なぜ戦後日本は政教分離を重視したのか」という原点を見つめ直す必要があります。
そして、政治の場で語られる言葉が、どのような歴史的文脈を持ち、どのような方向に社会を導こうとしているのか、冷静に見極めることが求められています。
憲法の原理を守ることは、単なるルールの順守ではありません。
それは、私たちの自由と尊厳、そして平和のための最も大切な土台なのです。