国政や県政の様々な情報の収集に新聞6紙を購読し、読み比べるのが日課となっています。そのうち産経新聞は、情報の提供に角度があり、良くも悪くも、見逃せない記事が目立ちます。
10月17日付け産経地方版には以下のような記事が掲載されました。
産経新聞茨城版(2004/10/17)
常陸大宮市が誕生
役人、議員向けの式典…住民の姿なし
記念式典には一般市民が参加する機会はほとんどなかった。「役所の、役所による、役所のための式典」で、今後合併する市町村は他山の石とすべきだ。
午後二時から始まった式典には、橋本知事ら来賓のほか、市議や農業委員など約500人が参加。国会議員6人、県議3人が一人ずつ壇上に立ち、約一時間にわたってあいさつが続いた。
式典後の祝賀会は橋本知事や矢数町長、国会議員らによる鏡割で開始され、ビールなどが振る舞われた。
国レベルで推し進める「平成の大合併」だけに、新市誕生の喜びはひとしおで、関係者をねぎらう祝典の性格が色濃く出るのは理解できる。
しかし、歴史的、地域的背景の異なる五町村の合併は役所や議員だけが行うのではなく、市民レベルでの一体感が必要だろう。
旧大宮町の文化センターでは海上自衛隊音楽隊の協力で記念音楽祭が開かれたが、記念式典そのものからは一体感を構築しようという意図はまったく感じられなかった。
会場で顔を合わせた市の担当者に「住民不在の式典に意味はあるのか」との疑問をぶつけると「広く市民にも知らせたが出席者は指定した。式典となるとこういう形にならざるを得ない。他県でも同様のやり方だ」と釈明した。
新市ならではのアイデアはなかったのか。式典の存在意義に強い疑問を感じた。(天野高志)
実際式典に参加した訳ではないので、常陸大宮市の考え方を無条件に批判することは避けたいと思いますが、産経新聞の意見には「全く同感」です。
国会議員、県議会議員のあいさつは、不必要。もし、私が出席していたら辞退したと思います。
担当者の「式典となるとこういう形にならざるを得ない。他県でも同様のやり方だ」とのコメントは、あまりに勉強不足。
少なくても、我が地域・日立市と十王町の合併式典ではこの事例を「他山の石」としたい。