民主党の小沢代表の辞任記者会見から一夜が明けました。11月2日の福田首相・小沢代表の党首会談をキッカケに、突然浮上した「大連立」「自衛隊海外派遣恒久法」という言葉。国民には、何が何だかよく分からぬままに、小沢代表の辞任表明。この3日間の出来事で、確かになったことは民主党の限界と国民の政治不信だけだったかもしれません。
それにしても、小沢氏は政界の「壊し屋」そのものでした。1993年に自民党を離党、非自民8党派の細川連立内閣を立ち上げました。私は、初挑戦の県議選で新進党推進候補として戦いました。その高揚感は今も忘れられません。しかし、その新進党も小沢氏によりあっさり解党され、小沢氏を代表とする自由党が結成されました。
そして、小渕政権時代に自民党と連立するも、やがて離脱。その直後、小渕首相(当時)が倒れるという想定外の出来事が起こりました。
自由党の分裂により小沢氏は、2003年9月に、民主党に合流し、昨年春に代表に就任しました。
作っては壊しの連続に、常に「政局の中心」にいたと言っても過言ではありません。小沢氏は政治の混乱が、国民生活へ深刻な影響を与えるということを全く理解していないようです。自民党の一部には、小沢大連立の失敗を惜しむ声がありますが、私は民主党代表を辞任するだけではなく、政治家としても退場すべきほどの重みがあると思っています。
そんな小沢氏の発言ですが、「民主党はいまだ様々な面で力量が不足しており、国民の皆様からも、自民党はだめだが、民主党も本当に政権担当能力があるのか、という疑問が提起され続けている。次期総選挙の勝利はたいへん厳しい」とのことばは、額面通り現在の民主党の状況を言い当てています。
そもそも政権を奪取するという視点で、国民に耳障りの良い政策を列挙したマニフェストで参院選に勝利した民主党。その限界を一番よく知っていたのは、その民主党の代表であったという事実を、私たち国民はしっかりと理解していく必要があります。
民主党は新しい代表の下で、真に国民のための政治への軌道に、一刻も早く戻ってもらいたいと思います。
民主党の小沢代表は、11月5日に辞任を表明しましたが、その後、民主党内からの説得を受け、7日に辞任を撤回しました。
「民主党・小沢代表辞任を撤回」(2007/11/7)
小沢代表辞意―「政権交代」は偽りだったのか
朝日新聞社説(2007/11/5)
民主党の小沢代表が辞任の意向を表明した。福田首相との党首会談で持ちかけられた「大連立」提案をめぐって、「政治的混乱が生じたことにけじめをつける」のだという。
大連立のような話が唐突に飛び出したのも驚かされたが、この辞意表明も突然だ。安倍前首相の政権投げ出しに続いての、党首の無責任ぶりにあきれる。
私たちがまず知りたいのは、2日間の党首会談で何を話し合ったのか、どんなやりとりがあったのかだ。
●無責任な投げ出し
首相や自民党からはさまざまな説明が、憶測も交えて流れてきた。だが、会談のあと、小沢氏は記者団に簡単に「連立の要請をお断りした」と語ったのみで、後はだんまりを通していた。
その揚げ句に、辞意表明である。民主党幹部はとりあえず辞表を預かり、翻意を促すというが、難しかろう。
週末には国会の会期末を迎える。総選挙の可能性もちらつく大事な局面で、野党第1党の代表がポストを投げ出すとはあいた口がふさがらない。
きのうの記者会見で小沢氏が説明したところによると、辞任の理由はこうだ。
党首会談で首相から連立政権の提案があった。首相は自衛隊の海外派遣について、小沢氏の持論をいれて重大な政策転換を決断した。それを民主党の役員会にはかったが、認められなかった。自分への不信任にも等しいので、けじめをつけることにした――
2日夜、党首会談のあと緊急に開かれた民主党役員会やその後の小沢氏の記者会見では、連立への反対が代表への「不信任にも等しい」という説明などまったくなかった。連立に反対した党幹部たちもびっくりしているのではないか。
大連立に向けた政策協議にすら賛成してもらえなかったことに、小沢氏は落胆したのかもしれない。
●大連立ありきの誤り
確かに、小沢氏の説明通りだとすると、国連のお墨付きがある場合にのみ自衛隊を海外に派遣するという恒久法は、首相にとっては大きく妥協したものだろう。日米同盟も踏まえ、国連外の行動にも余地を残したいというのが自民党などの考え方だからだ。首相は大連立ができるなら、給油再開の新法成立にはこだわらないとも述べたという。
「私個人としては、これだけでも連立に向けた政策協議をはじめる価値があると判断した」と小沢氏はいう。恒久法の論議としては重要なポイントではある。だが、その問題と大連立をセットにして「イエスか、ノーか」と迫るのは、あまりに議論を単純化している。
小沢氏が本気で海外派遣の恒久法をつくりたいのなら、まず民主党内をまとめ、そのうえで法案を出すなり、政府与党と協議するなりすればいい。いきなり大連立と絡めるのは筋が違う。
首相の方も、政治の安定を望む気持ちはわかるが、途中の論議を飛ばして結論を約束するのは行きすぎではないか。
そもそも両党の間には、他にもさまざまな政策で基本的な食い違いがある。何よりも小沢氏自身、政権交代しなければ日本は変わらないと言い続けてきたではないか。
政権を争う2大政党が国家国民のために協力しあうことは当然あっていい。ただ、それはまず政策ごとの協調で模索すべきであり、連立しなければ何もできないというのは論理の飛躍である。
いまの日本が、大連立を考える時期に来たとは思えない。そもそも、たった2度のトップ会談で方向づけられるような問題ではない。
小沢氏は辞意表明の記者会見で、民主党についてびっくりするようなことを言った。「次期総選挙での勝利は大変厳しい情勢にある」。参院選で大勝し、次の総選挙でいよいよ政権交代をと意気込んだのは、見せかけにすぎなかったのか。
さらに、民主党は力量不足で政権担当能力に疑問符がついているとも述べた。実際に政権の一翼を担って実績を重ねた方が政権取りには現実的だと言いたかったのだろうが、代表にそう言われては党内も立つ瀬がなかろう。
●政治が劣化している
それにしても、今回の行動を見るにつけ、小沢氏はつくづく「壊し屋」だったという思いを強くする。
93年に自民党を離党し、非自民8党派の細川連立内閣をつくり上げたところまでは鮮やかだった。だが、細川、羽田政権の挫折を経て、新進党をつくったものの、その新進党をあっさり解党し、自らに近い議員だけで自由党をつくった。
小渕政権時代に自民党と連立を組んだが、やがて離脱。その後、2大政党の一翼として力をつけてきた民主党に合流し、昨春、民主党の代表についた。
つくっては壊し、の連続だった。肝心の時になると説明責任から逃げたり、大事な判断を誤ったりする。
総選挙に対する小沢氏の不安は本物なのかもしれない。だが、だからといって、政権交代を目標に進む党の舵(かじ)を、自分の一存で大連立に切り替えようというのは、小政党時代のオーナー気分が抜けていないと言われても仕方あるまい。政権交代を望む世論に育てられ、支えられてきた民主党のありようがわかっていないのではないか。
今回の辞意表明で、民主党がこうむる打撃は計り知れない。総選挙への盛り上がりも一気にしぼみかねない。
安倍氏といい、小沢氏といい、与野党のトップが最悪の形で重職を投げ出してしまう。そんな指導者を生んでしまう政治の劣化は深刻である。