茨城県議会公明党では、第2回目の東日本大震災の被災地調査を7月7日、8日の両日行いました。この調査を含めて、井手よしひろ県議は、震災以来、5回東北の3県を訪れたことになりました。
茨城県内の被災状況やこうした被災地を実際に見てみて、一番感じることは、現場の「復興」と言う言葉と菅内閣で使われている「復興」という言葉は、似て非なるものということです。
菅首相は、復興構想会議の創設に当たり「大きな夢を持った復興計画を進めたい。山を削って高台に住むところを置き、漁港などまで通勤する。植物、バイオマスを使った地域暖房を完備したエコタウンをつくり、福祉都市の性格も持たせる。世界で一つのモデルになるような、新たな街づくりを目指したい」と述べています。菅直人政権にとって、被災地の復興は、東日本大震災をチャンスに、自分たちの描く理想社会=日本のグランドデザインを作りたいという傲慢な考え方であると言っても過言ではありません。
また、浜岡原発の停止要請も、同じような考えの延長線上にあり、そこに実際に住む人間の顔が全く見えてきません。
震災で傷ついた被災者の目線で、どのように勇気づけ、元気づけ、復興への具体的な歩みを後押しするかという視点が全く欠如しています。
7月7日に訪れた石巻では、石巻市立病院に目の前の岸壁で、一人のお年寄りがグラスファイバー製の漁船を修理していました。声を掛けると、やっと転覆していた船を引き上げ、昨日から手入れを始めたとのことでした。船外機が使い物にならなくなったために、中古のエンジンを探しているとのこと。中古とはいえ、100万以上はするだろうと語っていました。「船の修繕や網の購入など、これから漁業を再開するためには、いくら費用が掛かるか分からない」「収入は年金だけで、家も燃えてしまった。親戚の家から毎日、ここに通って、少しずつ自分で修理していく」「秋までには港も復興するだろうから、それまでには漁に出たい」と、語ってくれました。「船の修理が出来れば、漁に出られるということだけで、毎日張り合いがある」と、微笑んだ表情が印象的でした。
このお年寄りにとって、津波対策も、エコタウンも全く関係ないのです。「まず、震災前の日常を取り戻してもらいたい」「船を直すために、100万でも200万でも融通してほしい」、これがすべてなのです。
政府に求められているのは、まっさらなところに復興の図面を書くのではなく、被災者の今の生活を確保しつつ、新しいデザインを提案しなければなら
ないということです。
これが、菅直人には、民主党の国会議員には、全く解っていない。そこに、心通わぬ政府の対応があるのだと思います。
そこで、一つの提案があります。震災復興の要である「復興庁を東北の中心地・仙台に置く」という提案です。
東京から被災地まで新幹線と車を乗り継いでも5時間は掛かります。日帰りは、大変難しい距離でしょう。自治体関係者が、国に要望するに付けても、一々東京に通っているのでは効率が悪すぎます。第一、国に、被災地の暑さ寒さ、風や臭いが届きません。復興大臣は仙台に常駐させ、東京には副大臣を置く。その間は、高速の光ファイバーで情報を常時やり取りできる環境を造ればよいと考えます。
一地方議員の夢想かもしれませんが、検討には値すると考えます。