東日本大震災の被災地を車で訪問して感ずることは、幹線道路網、鉄道網の危機管理体制の整備です。
高速道路無料化などのバラマキ的な対策ではなく、復興の生命線となる高速道路や鉄道の整備を急ぐべきだと提案します。
今回の震災で被災地を南北に縦貫しているのは、国道6号線と国道45号線。高速道路は常磐道と三陸道。特に、三陸沿岸の被災地の生命線となったのは、国道45号線と三陸縦貫自動車道でした。
雑誌「公明」7月号の早稲田大学大学院客員教授大石久和先生の論文を引用します。
震災が突き付けたインフラ再構築の教訓
早稲田大学大学院客員教授大石久和(公明2011年7月号)
首都大地震に備え、首都機能の分散化を図れ
まず、反省しなければならないことは、この国には非常用モードが存在しないことである。大きな災害もなく外国からの攻撃もない通常時がいつまでも続くのだと信じてきて、平常時モードの用意しかなかったのではないかとの反省である。この災害頻発国で大災害を考えないことなどあり得ないというのが正直な感想だろうが、残念ながらそうでもないのだ。震災後、憲法はじめ法制度全般について非常時モードの規定がないとの指摘がなされ始め、この準備も急がなければならないが、インフラ整備についてもその例外ではない。
「代替性」を軽んじた道路整備
16年前に阪神・淡路大震災が神戸を襲ったとき、鉄道と道路のすべての幹線が被災して、日本の東西がかなりの期間完全に分断されたことがあった。
鉄道ではJR山陽新幹線、JR山陽本線、私鉄の山陽電車が全部被災したし、道路では国道2号、阪神高速道路、山陽自動車道、中国自動車道が大きな被害を受けた。あの地震は活断層型であったが、国中活断層だらけと言ってもいいこの国で、たった一つの活断層が暴れただけで、国が東西に二分されてしまう事態となったのである。
それは、山陽側に人口や産業の集積があって交通需要が多く、日本海側や中国山地には交通需要が少なかったからである。この地震後、ごく一部ではこの反省も議論されたが、大勢を占めるにいたらず、その後の計画理念の変更にはつながらなかった。
それどころか、最近ではさらに需要追随が強化され、その指標であるB/C(費用対効果)の値が、まるで葵の御紋のように、あらゆる価値に優先する状況になっている。しかし、ここで計算される効果はほとんどが交通量で決まるから、つまり交通需要の大きさのみが、道路整備の可能性や整備速度を決定することになっている。
残念なことにこの考え方では、交通不便を解消し居住地選択の自由を広げて憲法が保障する「公平」の拡大を図るということや、災害が生じても主要都市聞の連絡が確保されるようにネットワークするといった価値はほとんど捨象されている。
今回の東日本大震災では、国道45号は海岸線近くを地形に沿って遣うように走っていたから、津波によって大きく被災した。しかし、三陸縦貫自動車道は、完成していたのは一部にすぎなかったが、海岸から離れた丘陵部にトンネルや橋を多用して建設されてたため、ほとんど津波の被害を受けなかった。
三陸道を使って救助や救急物資の搬送にあたった方からは、「この道路がなかったらどうなったことやら」ときわめて高い評価がなされている。しかし、大きな交通量が見込めないことを理由に、必要性は理解されながらも最初の開通から30年も経つというのに整備が遅々として進まず、いまだ50%しか供用できていないのである。
大災害頻発国なのに、災害による国土分断の可能性や、ネットワークの代替性や補完性といったリダンダンシー(余裕)がほとんど考慮されてこなかったというのが現実なのだ。これでは「災害国に住んでいることを自覚しています」などとは言えないのではないか。大災害という非常時が起こり得るということを、真剣に考えてこなかったのではないか。
今現在(7月9日)でも、国道45号線は陸前高田市内で一部通行が出来ず、震災後4カ月を経ても全線通行には至っていません。民主党の事業仕分けという諸悪の根源を、この震災を契機に乗り越えなくてはいけないと考えます。
茨城県においても、常磐道や国道6号の代替路線の整備が急務です。特に、東関東自動車道水戸線、圏央道の早期開通は震災対策のためにも、絶対に必要です。時あたかも、国は、圏央道の整備手法を国直轄事業から有料道路事業に戻しました。3年、5年という期間を区切った緊急道路整備を震災対策の根本として位置づけるべきだと思います。
さらに、震災対策は、実は原子力防災体制の強化につながることも指摘しなくてはいけません。
蛇足ですが、今回の福島第一原発事故では、いわき市から住民が大量に常磐道を使って避難しました。福島県は、いち早く避難する県民の車両を緊急車両にて指定しました。パトカーや救急車、自衛隊の車などの緊急車両しか走れないはずの常磐道を、一般車両がノンストップで通過していることを、県等に通報してきた茨城県民は複数います。逆に、これほどスムーズな対応を行った福島県は賞賛に値するかもしれません。福島県民は、一般道が大渋滞していた茨城県民より、数段迅速に避難することが出来たのです。
復興庁が創設され、本格的な復興体制が整いました。広域的な復興戦略の根本となる、高速道路、基幹道路、鉄道の復旧は、何にも優先して国の責任で行うべきです。
国交相 表明沿岸首長に期待感
(読売新聞2011/7/2)
大畠国土交通相は1日の閣議後記者会見で、仙台市から青森県八戸市を結ぶ三陸縦貫自動車道など3路線の未着工区間について、8月中にルートを確定し、10年後の全線開通を目指す考えを明らかにした。地元の長年の悲願が、実現に向けて大きく前進することになり、沿岸市町村の首長からも、経済効果を期待する声が相次いだ。 大畠国交相は、「三陸沿岸道路は、避難や救援物資の搬送に『命の道』として機能を果たした。完成が復興のシンボルになる」と、早期完成を目指す理由を述べた。 対象となるのは、三陸縦貫自動車道(仙台市―宮古市、当初計画224キロ)、三陸北縦貫道路(宮古市―久慈市、同90キロ)、八戸・久慈自動車道(久慈市―八戸市、同50キロ)の3路線計364キロのうち、ルートが決まっていない11区間計152キロ。 国交省は1日から、おおまかなルートを記した、たたき台を地元自治体に提示。自治体側の意見を踏まえ、インターチェンジの位置なども含めたルートを8月中に確定させる考えだ。 陸前高田市の戸羽太市長は「企業誘致の好材料になるのが、1番の利点」と歓迎し、大船渡市の戸田公明市長は「非常にうれしい。被災地の様々な産業にプラスだ」と評価した。
■知事、「5年以内」要望
達増知事は1日上京し、菅首相、野田財務相ら主要閣僚や民主党の岡田幹事長と相次いで面会し、震災に関する要望書を提出した。
首相官邸で要望書を受け取った菅首相は「読ませていただき、今後の指針に取り入れたい」と応じた。達増知事は「国、県、市町村で認識を共有できていると感じた」としながらも、県が5年以内の全線開通を求めている三陸縦貫自動車道など3路線については、「早い方がいい。引き続き(5年以内の全線開通を)求めたい」と話した。