江戸時代に広く使われた日本地図を作ったことで知られる長久保赤水の地図などが、国の重要文化財に指定されることを受けて、出身地の高萩市は赤水の足跡を紹介する映画を制作しています。
新型コロナウイルスの影響で落ち込んでいる観光のPRなどに活用するとともに、地域の偉人を再評価する機会としたいとしています。
長久保赤水は現在の高萩市に生まれた江戸時代の水戸藩の儒学者です。
日本で初めて緯度と方角を記した日本地図を作ったことで知られ、ことし3月には赤水の地図や文書などが国の重要文化財に指定されることが決まりました。
高萩市はこれを記念して様々なイベントを企画していましたが、新型コロナウイルスの影響で開催の見込みが立たないことから、国の交付金を使って赤水の足跡を紹介する50分のドキュメンタリー映画の制作を進めています。新田次郎の名作「ある町の高い煙突」を映画化した松村克弥監督がメガホンをとります。
江戸中期、高萩市赤浜の農家に生まれた赤水は、地理学者や儒学者として活躍し、水戸藩6代藩主治保に学問を教える侍講に抜てきされました。主君・治保に対し、年貢取り立てに苦しんでいた農民を救うため制度の改善を求めた書「農民疾苦」は、赤水の人となりを後世に伝えるものとなっています。
そんな赤水が、ふるさとの赤浜で20余年の歳月を掛け日本全図を作り、大阪で刊行しました。当時としては画期的な地図です。これまで一部の支配階級だけの所有物であった地図を庶民のものにしました。赤水地図は、発行から明治に至るまで約100年間に8版を数えるベストセラーとなりました。
赤水に遅れること42年。伊能忠敬が実測日本地図を完成させます。しかし、伊能図は国家秘密として、一般には流通しませんでした。
幕末の思想家、吉田松陰は東北遊学の折、高萩市を訪れ長久保赤水を墓参しました。懐中には当時の旅必携の日本地図「赤水図」がありました。松陰は「(伊能地図の約40年前に)赤水は居ながらにして地図を作った」と、資料や天文学、旅人の話から正確な地図を描いた赤水に驚嘆しています。
ちなみに、赤水図には竹島(当時の呼称は松島)が明確に記されています。当時の日本で竹島が広く認知されていたことを如実に証明するものとなっています。
長久保赤水を顕彰し、高萩市の魅力を全国に発信するPR映画は、12月上旬から地元での撮影がスタートし、来春3月には公開される予定です。その完成を大いに期待したいと思います。