
参院選も終盤、勢いを増している参政党。その中心に立つ神谷宗幣代表は、「日本人ファースト」というスローガンを掲げ、多くの人々の関心を集めています。しかし、その発言の裏にある曖昧さ、そして排外主義を助長しかねない危うさを、私たちは見過ごすべきではありません。
7月14日、TBSの取材に答えて神谷代表は「日本人ファースト」について、「選挙のキャッチコピーであって、選挙の間だけのもの」と述べました。まさに驚きの発言です。
選挙が終わったらこの言葉の責任は問われなくてよいのでしょうか。
「選挙中だけなら、どんな言葉を使っても構わない」と言わんばかりの姿勢には、政治家としての誠実さを疑わざるを得ません。
また、「外国人に出て行ってほしいという人もいるが、私たちはそういう党にしたくない」と語りつつも、そのような極論に対して明確な否定も排除もせず、あくまで「党のスタンス」として距離を取るにとどまっています。さらに、「日本人ファースト」という言葉自体が排外的な感情を呼び起こしているのでは、との問いに対しても、「差別だとは思っていない」「街頭でしっかり説明する」と繰り返すだけで、慎重な姿勢は感じられませんでした。
そもそも、「差別の意図はない」という言葉は、差別が存在しないことの証明にはなりません。政治において、言葉は力を持ちます。とりわけ「日本人ファースト」という表現は、聞く人の立場によって大きく意味が変わります。外国にルーツを持つ人々や、共に地域で暮らす外国人住民にとって、それが排除や疎外のメッセージとして受け取られても不思議ではないのです。
神谷氏は、「この言葉は党員からの提案で、自分が考えたわけではない」と釈明しますが、それを採用し、全国で掲げたのは他でもない本人です。リーダーとしての責任から逃れることはできません。
私たちが問うべきは、単なる言葉尻ではありません。「なぜこの言葉が選ばれ、どのような社会的メッセージを発しているのか」。その根底にある思想が、分断や差別、排外主義と結びついていないかを、冷静に検証する必要があります。
「選挙の間だけの言葉だった」とは、あまりに無責任です。政治家が一度発した言葉は、社会に残り、時に人の心を傷つけ、現実の行動を生み出します。「日本人ファースト」が引き金となって、外国人に対する排斥や差別が助長される事態が起これば、その責任は誰が取るのでしょうか。
政治とは、人々の暮らしと意識を導く営みです。だからこそ、政治家には言葉の重みを自覚し、時に自らを律する覚悟が求められます。参政党と神谷代表には、その覚悟が本当にあるのでしょうか。私たちは、その姿勢を厳しく問い続けていく必要があります。
この投稿文は、TBSが神谷代表を取材した記事をもとに作成しました。出典:差別煽るリスクは?参政党・神谷代表「日本人ファーストは選挙の間だけ」|
TBS NEWS DIG(2025/7/15)