8月3日、井手よしひろ県議ら県議会土木委員会は、福岡・長崎の県外調査の最終日、国土交通省の雲仙復興事務所を訪れ、秦耕二所長より雲仙・普賢岳の噴火災害の状況と復興事業の現状を聴取するとともに、大野木場砂防みらい館並びに復旧工事の現場を視察しました。
雲仙・普賢岳は平成2年11月から活発な火山活動を始め、平成3年6月3日には大規模な火砕流が発生し、報道関係者や消防団員、地元住民など43名の貴い人命が奪われました(報道関係者20名、消防団員12名、警察2名、住民6名、火山学者3名)。その後も、積もった火山灰が雨により土石流となって麓の住宅を襲うなど深刻な災害が続きました。
国は、島原復興事務所を設置し、今までに1700億円もの巨費を投じ、復旧事業を継続しています。
井手県議は、10年前にも同地域を訪れた経験がありますが、大規模な復興事業の進捗には、目を見張るものがありました。特に、大野木場小学校の惨状を保存した砂防みらい館や土石流被災奥屋保存公園の取り組みは、非常に有意義なものであると評価します。「災害は忘れたころにやってくる」とは、よく言われますが、火山災害は100年単位のスパンで起こってきます。この島原地域でも1792年に起こった寛政噴火(島原大変肥後迷惑)では、5万1000人もの死亡者が出たとされています。その時の恐怖の体験が、現代まで継承されていれば、今回の犠牲者は出さなくて済んだかもしれません。こうした意味で、砂防工事や道路の再建といったハード的な事業だけではなく、火山災害の恐ろしさを伝えていくソフト事業も重視されるべきと実感しました。
(写真は旧大野木場小学校と砂防みらい館)
参考:大野木場砂防みらい館のHP