4月26日井手よしひろ県議は、大子町で「漆掻き職人の育成」「漆の植栽」を目的に設立されたNPO法人麗潤館(れいじゅんかん)を訪問し、大神隆一郎さんよりご説明、ご案内していただきました。
あまり知られていないのが残念ですが、茨城県は、岩手県に次いで全国第2位を誇る漆生産県です。そして、大子町は茨城県のほとんどの漆を産出しています。
しかも、大子の漆は透明度が高く良質と言われ、輪島塗や春慶塗など高級漆器に仕上げ用として使われています。漆芸家で人間国宝(重要無形文化財)に認定されている大西勲さんなども、大子漆を使用しています。
漆の品質を決める指標の一つ、「ウルシオール」の含有率は、大子漆が72.3%、他の国内産が67.3%、中国産65.0と、大子産がずば抜けています。
大子町農林課によると、江戸時代には水戸藩2代目藩主徳川光圀が漆を奨励したことから生産が盛んでした。昭和30年代の一時期は採取量日本一になり、漆かき職人も約100人いたりしました。茨城は岩手県に次いで全国2位の漆産地。生産量は1988年に1120キロでしたが、2012年は187キロにまで減少しました。漆かき職人も今は町内に4、5人しかいません。
漆器は英語で「japan」と表現されます。江戸時代に長崎の出島を通して輸出された沢山の漆器がヨーロッパで人気を博し、「ジャパンから来た物」ということで「japan」が漆の代名詞になりました。近年、ロンドンの大英博物館で日本の工芸展が行われた際にも漆工品は大変な人気でした。それだけに海外において漆は「日本の工芸品の顔」になっています。
しかし、その大子漆も後継者の問題や漆の木の減少など、大きな問題を抱えています。日本の漆文化を守ろうと、昨年、NPO法人麗潤館が設立されました。この4月には大子町内に拠点施設がオープンしました。
麗潤館は、都内で美術ギャラリー「館・游彩」を営む矢崎孝子さんが中心となり、昨年11月に設立されました。メンバーはベテランの漆懐き職人をはじめ、漆工芸や陶芸などの作家らで構成されています。漆の木の植栽や保護、漆掻き政人の支援・育成などを行います。
今、日本の漆文化が存続が危機にさらされています。漆は、ウルシの木に傷をつけ、そこからしみ出す樹液を精製して作られます。一掻きで採れる漆はほんのわずかです。
そのウルシの木は、かぶれるということで、植栽の場所も限られてしまいます。また漆が採れるまでには、植栽から10年から15年ほどの歳月を必要とします。ウルシの木は、日当たりと水はけの良いところを好みますので、下草の処理が必要です。漆が採れるまでには、膨大な労力が必要なのです。
ウルシの植栽、その管理、そして漆を掻く仕事(採取)は、漆掻き職人が行っています。とても根気のいる仕事であり、ウルシを採取する時期が限られているので、それだけでは生活が成り立ちません。
その結果、後継者不足、職人の高齢化が深刻です。
現在、日本で使われている国産漆は僅か全体の2%程度で、殆どが中国やベトナムからの輸入漆に頼っています。
しかし、中国でも同じような現象が起こっており、毎年中国からの漆の輸入量も減少しています。将来的に、輸入漆に頼っていられる状況ではなくなるかもしれません。
植栽から、漆が採取できるまでには、10年から15年掛かります。この期間を考えると、今この問題に手を付けなくては、漆そのもの、それを採取する技術が途絶えてしまう危険性があります。
そんな思いで、「漆掻き職人の育成」「漆の植栽」をテーマとする、NPO「麗潤館」が立ち上げられました。
4月5日、ウルシの苗約230本が、大子町池田の植栽地に植えられました。成木になる約10年後には質の高い「大子漆」が採れると期待されている。
麗潤館が借りた約3千平方メートルの休耕田に、呼びかけに応じた東京都民や町民ら約90人のボランティアが集まりました。「大子漆保存会」(飛田祐造会長)に所属する漆かき職人の指導で、高さ約1メートルの苗を一本ずつていねいに植えました。
ウルシの木は10年ほどで高さ十数メートル、直径約15センチの成木になり、漆の採取ができるようになります。6月から10月に採取した後は伐採するため、漆かきを継続するには毎年苗を植え続ける必要があります。麗潤館では今後も毎年、苗を植え続けて保護したり、漆かき作業の見学会などを開いたりして、漆文化への理解を広める活動をする予定です。
茨城の漆生産を守るためにも、さらに日本の漆文化を守るためにも、麗潤館の活動は大変重要です。私費を投じて麗潤館を創設された矢崎孝子さんに深く感謝いたします。と共に、いばらきブランドの戦略の上からも、大子の漆を全国にアピールしていきたいと思います。耕作放棄地の活用などにウルシの植林が活用できないか、検討してみたいと思います。
参考:NPO法人麗潤館のHP